しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

ゲゲゲの鬼太郎(6期) 第26話

 

シリーズ自体は必ずしも毎週観ているわけではないのですが、最近期待値高めの井上亜樹子脚本ということで視聴。面白かったので話を追いつつ感想を書いてみます。

 

夫から捨てられた(らしい)トラウマから娘を束縛する母親と、母親を気遣い、いいつけを守る娘のゆうな。

男を寄せ付けない為に、プールにも入れなければ男とまともに会話もできないという病的なママルール。

彼女に好意を抱く幼馴染は、そんなルールを否定した挙句強制的にキス(痴漢)かまし、あろうことかそれをゆうなの母親に目撃される。

 

強制猥褻に及ぶ幼馴染も、物陰からじっと見ている母親も、脚本家のあれこれのせいで、嫌でも草加雅人が脳裏をよぎります。

 

「私の言いつけを破って穢れてしまった。あなたは私の子じゃない」

 

娘が男に取り込まれ、自分を捨ててしまうことを恐れた母親は、夫の離別によって味わった恐怖と怒りから、娘をなじり倒す。

それでも娘が家に帰ってきたらちゃんと受け入れているようで、虚勢を張りながらも、娘に依存してしまう母親の心の弱さが克明に描かれています。

 

母親から否定されたゆうなは夜の公園で泣きじゃくるも、こなきじじいが落としたすなかけばばあの巻物を交番に届けず家に持ち帰る。

そして、母親から拒否される夢を見て飛び起きたゆうなは、巻物を開いて中の絵を見てしまう。


描かれた美男子(CV緑川光)が実体化し、画皮と名乗ってゆうなの心を魅了する。

 

「私を認めてくれたのは、あなたが初めて。」

 

母親が定めたルールと、それを守る自分を否定してきた周囲の人間と違い、妖怪だけが自分の気持に寄り添ってくれた。
美少女と美男子ということで、画的には奇麗なのですが、空疎と孤独の中で行き詰る心が妖怪を呼び込み、自分もまた魅了されるという流れ自体はかなりドロドロしています。

 

自分の理解者(であると思い込んでいる)画皮から離れられないゆうなは、画皮の為に人を呼び、彼の食事として魂を食わせるという凶行に走る。


ゆうな自身は、母親を気遣う気持ちと、本当に彼女に否定されるかもしれないという恐怖から、ただ言いつけを守るという生き方しかできないという状況。

母親に押し付けられた決まりを実行するだけの怠惰な現状を肯定してもらうために、今の自分を受け入れてくれる存在との関係を守るために罪を犯す。


母親だけではなく、その犠牲者である娘もまた、「弱さ」によって他者を犠牲にしていくという負の連鎖が生じています。


しかし、そんな娘の気持ちも他所に、母親は会社の男に言い寄られ、結婚に踏み切ってしまう。
男に裏切られた(本人談)経験から、他者を縛る程寂しさにまみれた人間なだけに、男のちょっとしたアプローチに負け、気を許してしまうという徹底した弱さ(笑)
再婚したとしても「捨てられることはない」という裏付けは存在しない一方で、男に甘えてしまう弱さを克服できないという齟齬に対処すべく、今までのやり方が「きびしすぎた」と取り繕い、あまつさえ娘に対して恋愛を推奨する始末。

 

捨てられたくないという気持ちと、それでも甘えていたいという気持ちがぶつかった結果、「捨てられることはない」という根拠のない楽観視に逃避すべく、大切な娘にも根拠のない考えを広めることで、自分自身の弱さと矛盾をごまかそうとする。


母親の言いつけを守る為に妖怪に手を貸したゆうなは、言行不一致の母親を目の当たりにして逆上し、包丁を突きつける

幼馴染による痴漢描写のみならず、刃傷沙汰スレスレの場面まで朝のアニメに挿入するというのもすさまじいのですが、自分の過失を母親のせいにして取り乱すという状況も強烈です。

画皮による事件を調査しにやってきた鬼太郎によってその場はことなきを得るも、画皮に依存するゆうなが邪魔をしようとする。

 

母親の為に道を外す苦痛を味わった(と思い込んでいる)結果、母親本人の身勝手によって、自分の苦痛が無意味なものであったと悟った結果、捨てられたと思い込み画皮に自分の全てを捧げようとする。

現状を肯定する為に利用していた存在にすがるしかないというのは、皮肉が効いています。

 

そこへ母親が現れるが、鬼太郎に締め付けられたちゃんちゃんこをほどいてほしい一心から、邪魔な母親を崖下に投げ飛ばす画皮。

 

母親よりもまず俺を助けろとわめく画皮だが、枝につかまって助けを呼ぶひ弱な母親に心を揺さぶられ、ゆうなは救出を決意。

 

母親のことが大切だったからこそ、言いつけを守ってきたと語るゆうな。
恐怖と苦痛が理解できるからこそ弱さも生まれるし、それ故に当然傷つけられ、苦しむ他者を放ってはおけない。


弱いからこそ人を傷つけるし、同時にまた愛するという人の弱さの明暗を25分弱の時間の中で明確に描写しました。

 

画皮に手を貸したことから来る罪悪感も、弱さを知っているからこそ抱えた痛みであり、その苦痛が無意味であると知ったとき、当然そこには怒りが生まれるという形で巧く取り込んできました。

 

 

ヤケになった画皮は、不細工な正体を露わにし、「ガヒガヒ」とわめきながらゆうなを襲うも、加勢にきたすなかけの砂と、鬼太郎の霊丸式指鉄砲で仕留められる。

 

戦いの後、娘の怒りと思いやりで、自分自身の弱さに気づいた母親と、それを受け止めるゆうなの言葉がまた良い。

 

「お母さんのことは大好き。もう言いなりにならない。」
「誰かの言いなりになっちゃいけない。確かにそれは楽だけど、辛くても何が正しいか、ちゃんと自分自身で決めるしかないんだって」

「だからお母さんも、私に遠慮しないで幸せになって。」

 

人を傷つけること、傷つけられる真実にたどり着かないよう、思考を拒否し、受け身のまま生きてきたゆうなが、人の弱さによって生じる嫌悪と共感を同時に実感し、だからこそ自分の弱さを認めることが出来る。

その上で、自分や他人の為に、弱さと向き合い戦う道を選ぶ。

 

母親にその生き方を押し付けるわけでもなく、それとなく悟らせる言い方もまた配慮を感じます。

 

一個の人間として、互いに別の道を歩いていくというカットもベタながら良いのですが、開始時点では薄暗かった景色が、ラストでは晴れ空で明るくなっているというのもベタベタですが好きです。

 

井上亜樹子氏曰く「物議を醸した回」ということで、盛り込まれたテーマ性や人間の感情の入り組み具合がややこしく、すねこすりやずんべらの回と比べて賛否が真っ二つに分かれそうな内容ですが、25分の枠の中で過不足なくまとめ上げていたのは好印象。

 

過去に手掛けた鬼太郎のエピソードの集大成ともとれる内容となっており、個人的には当たりの回でした。良かったです。

 

ちなみに、今回すぐにフェードアウトしてしまったこなきじじいですが、さりげなくすなかけの巻物を盗むという犯罪行為をやってのけています。

名誉回復の日はいつになるのやら。