しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

仮面ライダー電王 第33話~第36話

 

第33話「タイムトラブラー・コハナ

第34話「時の間(はざま)のピアニスト」

たかがゲストのドラマなのでどうでもいいといえばどうでもいいのですが、「世界と繋がっていたくない」と言うほどの人間が、一度プロになって辞めた理由と言うのが掴めない(;^_^A
「ピアノだけあればいいんだ」と言う人が他人に自分のピアノを聞かせるというのも分からないし、生活の為にやってたのが、ある程度小金がたまって働かなくてもよくなったとかそういうことなのか
もっと分からないのはピアノマンの友達(?)がもう一度プロとしてやり直そうと決意した真意で、ピアノを極めるだけなら、ピアノ以外から逃げようと逃げまいとどっちでもいいんじゃないかと。
逃げることで生じる喪失が描かれないので、それっぽい要素を繋ぎ合わせただけというのがなあ(;^_^A
ピアノマンが瓦礫に潰されるのを目の当たりにしたウラタロスが怒りをあらわにする場面も、気取りこそすれ初登場のキャラクターを考えると違和感があるし、その変化の過程に説得力があったかというと
これまた疑問。

 

第35話「悲劇の復活カード・ゼロ 」

第36話「憑かず、離れず、電車斬り!
時の運行を守ることと人助けは違うということを自覚した良太郎。
てか、今まで自覚してなかったんかいと呆れつつ、良くも悪くも目の前の存在に突き動かされてきた良太郎だからこそ、見知った人間の消失でようやく「時間」の危うさを実感したというのは、感情移入できるかできないかはともかくとして筋は通っているのか(;^_^A
自分の考えが甘かったことを自覚したことで、第20話ラストで桐矢桜井に向けて放った居直り感全開の言葉は、シナリオが自覚的に言わせた物だと判別可能なのですが、
その過程を納得できるかどうかで、印象が大分分かれそうだなあ(ちなみに自分はしっくりこなかった派。)
愛理が望遠鏡を譲る意思を明確にしたのは、第31話でお店を守ろうとした愛理像とのブレとして捉えるべきか、他人の幸せを願う桜井の善意が愛理の記憶の奥底にあるからこその行動として捉えるべきなのか、正直今の時点では判断不能
巧かったのは、逃げずに戦う桐矢桜井の「行動」と逃げない良太郎に向けていた桜井の「言葉」がリンクして、いよいよ本当に同一人物なのだと強調してきた所。
「過去が希望をくれる」という言葉も、桐矢桜井の振る舞いによって実体を勝ち得、そしてその意味が「電車の線路」というモチーフとの合致を成しているのも素晴らしい。