第2話「組曲・親子のバイオリン」
2008年
恵が放った弾丸を腕で弾くキバ。何もせずに立ち去るキバを、盗撮する恵。
写真を見せられた上司の嶋は、「名護啓介には言うな」と告げる。
その頃、紅渡は作ったニスの色合いが気に入らず、苦悩していた。
そのまなざしの先には、父親が作ったバイオリン、ブラッディ・ローズが・・・。
静香「渡のお父さんって、バイオリン作りの名人だったんだね・・・。」
渡「うん。過去の名器の中には、悪魔と契約して作ったんじゃないかと言われてるものもある。それくらい謎が多いんだ」
静香「渡のお父さんも、悪魔と契約してたりして」
渡「・・・本当にそうかも・・・」
悪魔と契約すると言う禁忌を犯したからこそ、「名器」として価値あるものをこの世に残せる。
「汚れた世界」で「まっとうに」生きられない渡は、父親の作品を褒め称える声を自らへの甘言として都合よく受け止める。
そんな渡は、静香が勝手に持ち込んできたバイオリン修復に必要な木材を得る為、飲食店の看板を盗もうとする。
そして、それを容認する、ダメ親静香。
人とのコミュニケーションを省いて生きるのは確かに楽なのですが、その楽な道を歩む為に不正を犯そうとし、その言い訳として「世の中の穢れ」や「悪魔と契約することの正当性」を主張する。
そして、そうしたひとりよがりに一切口を挟まず、したいようにさせる静香の甘やかしが、渡の現実逃避や身勝手の保証になっている。
そんなダメ疑似親子だが、カフェ・マル・ダムールのテーブルに目を付け盗もうとしたところを、麻生恵に阻まれる。
店に連行された渡は、恵からbrksに言われる
「一体どういう生き方してるの?いい若者が情けない。君みたいにね、世の中舐めてるようなの見ると、ホントに頭にくるのよね。」
静香の渡擁護に対しても「あなたの教育が悪いからこんな子になっちゃったんじゃないの?」と容赦のない口撃。
恵の説教を食らった渡は、店のマスターに対して、拙い口ぶりでテーブルをくれるよう頼み込む。
例え他人の物であっても、盗みを阻み、その生き方を厳しく非難する恵のあり方は、世の中の潔白の部分に乗っとったものであり、彼女が向ける渡への一言一言は、周囲に責任を押し付け、身勝手な自分を正当化する渡の言い訳を、バッサリ切り捨てるカウンターとして機能します。
渡の蛮行の保証人として、これまで庇ってくれた静香が何も言い返せないのも、彼が変化を余儀なくされた一因として意味深いものがあります。
現実逃避の末に恵に追いつかれ、横っ面を叩かれてしまった渡は、いよいよ観念して、ことを成す為に人や社会と対面する選択肢を選ぶ。
ここで渡が拙くても自分の意思を表明できたのは、半ばヤケもあるのでしょうが、逃げてばかりでもいられないという事実を捉えた上での奮起として、渡の可能性を示唆する描写として成立。
かくして、スーパーダメ人間からダメ人間に成長(?)した渡は、マスターからもらったテーブルで作った木材で、依頼者のバイオリンを修復。
「音楽を愛する」という一点で気を許したのか、依頼者の女性とフランクに会話をする渡だが、彼女は直ったバイオリンを利用してライフエナジーを集めるファンガイアだった。
「お前の母にも世話になったな」と告げながら、恵を痛めつけるファンガイアを前に、驚愕する渡。
渡「そんな・・・ほんとにあの人が・・・」
キバット「だから言ったろ。甘いんだよ、お前は・・・。」
逃げてばかりだった渡が、コミュニケーションによってテーブルを貰ったまでは良かったものの、今度は人の「裏の顔」を見抜けなかったという失敗体験をしてしまう。
一つの難所を克服しても、また別の難所が立ちふさがり、容易に渡らせてくれない。
そんな人生だからこそ、他人を恐れて、孤独に甘えようとする。
しかし、渡の苦悩を余所に、目の前で恵が命を絶たれようとしている。
「キバット!」
(渡視点で)世の中で生きる正しく生きる模範でもあった恵は、だからこそ自分に痛い現実を突きつける都合の悪い存在として映るし、同時に生きる上での模範として認識される。
世の中の外にいた人間が、ヒーロー的な力を駆使して誰かを守るには、他人に対する共感意識が必要になってくるし、その為には自分も世の中の成員として他人と交流を持つ必要がある。
他者に裏切られても尚、恵の危機を救うべく動いた渡は、世の中に背を向けずコミットしていく道を選んだと言えます。
象徴的な戦いに勝利した渡の前に、巨大な城ドラゴンが現れ、中でタキシードに身を包んだ3人男がなにやらしているところで終わり。
キバとしての渡が、一切の人間的弱みを魅せず逞しく振舞う様は、改めて普段とのギャップを感じさせるのですが、渡自身、キバはファンガイアと戦う専用の道具以上でも以下でもなく、まともな道具を使ってるから死ぬこともないだろう的な認識か。
井上敏樹ライダーで括ると、アギトの力に恐怖した翔一や、自分の人間性の担保としてファイズを利用した巧とは違い、渡にとってのキバは本当にただの道具でしかないというのが、他のライダーとの違いでもあり、まがいなりにもライダーの力がストーリーに関わっていたこれら2作との最大の違いがそこにあるともいえるでしょう。
現代編で長くなったけど1986年。
こちらは2008年に出たバイオリンファンガイアと麻生ゆりとの因縁、そして、紅音也の「強さ」を描いたところ。
彼が講師を務めていたバイオリニスト曰く、「昔はすっごいバイオリニスト」として活躍していた音也だが、今は女の尻を追い回す色ボケ男に。
色ボケを発動し、ゆりを追い回す音也は、バイオリンの音で人を集めて捕食するファンガイア=音也の生徒と戦うゆりと遭遇。勇ましく戦うゆりの姿を称賛するが、ファンガイアに捕食された男の姿を目の当たりにする。
ファンガイアのバイオリンを壊すも、またも逃走を許してしまったゆりに付きまとう音也
「あんたどうかしてんじゃないの?あんな化け物見て、なんとも思わないの?」
「なんのことだ?俺は君の事しか、見ていない。」
ゴミと接するような態度をとるゆりの目を盗み、音也は彼女の武器を失敬する。
「許せねえな。お前、音楽をなんだと思っているんだ?」
正体を隠し、陰で命を殺めていたファンガイアに迫り、怒りを見せる音也。
音楽を使った犯行かどうかは彼自身は見ていない筈なのですが、聞き心地良い音色と、暗い本性とのギャップに不快感を覚えているのか。
取り逃がすも、武器を使って追い詰める音也の強さが描かれ、現代編の主人公である渡とは対照的に、過去編の主人公である音也は、積極的で強気な性格と強さが強調され、対照的な造形(どっちもダメ人間濃度が高いのですが)
渡が恵の命の危機で変身したのとは違い、音也は見ず知らずの誰かの死で動きだしたというのも異なる点か。