しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

ダルイゼンはのどかに向かって手を伸ばした。 キュアグレースは何のためらいもなくその腕を引き抜き、握り潰した。

 

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色々物議を醸してる感のある、アニメージュ3月号のヒープリスタッフ対談記事の感想です。増刊号の方は未読となります。

※「」内のスタッフの発言は意訳です。本当にそう言ったの?と疑問に思う方は、雑誌の購入をお勧めします。

 

☆キャラデザ×SD

・SD「敵の悪行を受け入れて許しちゃう展開をファンは期待したかも」

筋が通っていればどっちだろうとかまいません。

「S☆S」みたいに仲間になれる人はそうなればいいし、敵対姿勢を貫くしかない人たちは倒せばいいと思います。「ヒープリ」の問題点は、敵を許すか許さないかの価値判断の次元の話では無いですし。

 

・SD「皆助けてこそプリキュアだって思ってる人もいるかもしれないけど、ヒープリは違う」

つい最近のシリーズの方向性を指して、「既存のプリキュア像から脱却した」みたいなことを言われましても・・・・。まあ、敵の討伐をこれ見よがしに強調したと言う点では斬新かもしれませんが。

 

・SD「ダルイゼンと戦おうとしたのどかちゃんは手を汚す覚悟を決めた」

のどかが自分の「自分さえよければ」な部分を弱さとして認めた上で、ダルイゼン討伐と向き合う筋書きというよりは、ラビリンの言葉に寄りかかるまま、彼の非道に話を逸らして自己保身の言葉を正当化しただけなので、覚悟と言うよりは、他人に甘える形でクリーンな自分のイメージを守りつつ、自分のしたいことをするという逃避行動にしか見えないのですがねえ。

 

☆シリーズ構成×プロデューサー

・シリ「ひなたはひなたなりに成長した」

成長したと言うよりは、周りが持て囃したことで気を良くして、深く反省することなく調子に乗っただけなのでは。

積み重ね云々と言うけども、その積み重ねが全然効果的に働いてないんだよなあ。

 

・シリ「ちゆのハイジャン×女将のW志望を通じて、やりたいことをやっていいと伝えたかった」

ずっと別個の話として扱っておいて、且つどちらも順調な状況で、さしたる根拠もなく「両立は無理かも」と悩まれても大した葛藤にはなりません。具体的な課題も無いのに、どっちも頑張ってやろうと励まされても、「出来るならやるだけでしょ」という当たり前の話で片付いちゃうレベルのことだと思いますし。

 

・シリ「病気は完治した方が越したことは無いし、病気になったことが無いから和解汁とは言えない」

当事者じゃ無いから良く分からないと言うのであれば、完治すべしとも言えない気がします。知らないけどこう思うで通す方がまだ潔いと思います。

遠慮がちなのか我を通すタイプなのか、よくわからないなあ。

 

・シリ「女の子は優しくあれと強要するのは間違ってるから、ダルイゼンは救いません」

色々話題になっている件。大分言葉を端折ったけど、こんな感じの事を言ってました。

ハッキリ言って意味が分からなかったです。のどかが悩んだのは、ダルイゼンに押し付けた自分の考えをそのまま跳ね返されたからで、何もしてないのに他人から生き方を強要されたと言うよりは、自分が是とする振る舞いと感情とのギャップに悩んでいただけで、個人の問題に他なりません。のどかに優しくあれと強要した人間も出てきませんし。一体何のことを言っているのでしょう。

 

・シリ「和解オチが優しくあれという女の子への圧力と結びついたら、強要に変わって自由意志を阻害するかもしれないから、殲滅オチにしよう」

相手を許すのも倒すのも結局自由意志であることに変わりは無いし、たまたまその時の状況下でどちらかが都合よく強要されるだけだと思います。

如何に心を強く持つかがこういう場合カギになるように思うのですが、妖精に言われたから気に入らない奴を受け入れなかったでは、結局他人の言いなりになっていることに変わりはないので、むしろ世の中の強要に負けてしまいそうな気がします。

 

・シリ「あなたにすこやかに生きてほしい」

すこやかに生きるとは。

目の前の問題から逃げることなのでしょうか。相手の非を論って自分の正当性を守って気持ちよくなることなのでしょうか。責任を追及されたら有耶無耶にしてごまかすことでしょうか。

プリキュアはみんなの味方」と主張するなら、プリキュア自身が心の強さを見せる必要があったかと思うのですが。

 

 

 

しかしまあ、改めて振り返るとのどかちゃんって、「仮面ライダー555」に出てきた

木場勇治みたいな子だよなあと思う所です。

 

・過去の出来事がある種のトラウマとなって、その後の行動の根拠になっている

・基本的に人当たりは良い反面、独善的な一面を垣間見せる時も多い

・特定の標語を掲げる(恩返し/人間との共存)割に、やってることは外敵との交戦のみで、日常の中で具体的な行動に自ら着手することはない

・一時的に苦悩するも、自分で考えて答えを出すことを放棄して、目先の理想論に飛びついたり、他人の言葉に判断を委ねる

・自分を否定する存在への敵意をむき出しにし、容赦なく攻撃を加える

 

元々弱い心を、逃避と理論武装で固めていただけでしかなかったのに、内内では尊敬と嫉妬の対象として扱われ、且つ外の世界からの敵意に翻弄され、挫けてしまった勇治と違い、のどかちゃんは周囲が好待遇でもてなし、常に庇護の対象として守られていたからこそ、彼のように闇落ちすることもなければ、同時に成長する機会も獲得できなかったと言えるでしょう。(ラビリンからの認識が最後まで「巻き込まれた人」というのも象徴的)

 

最終回では、超絶唐突ながらも、アンチテーゼとなる猿妖精の存在が仄めかされましたが、詭弁同然のまとめで責任の所在や展望の表明は有耶無耶になってしまい、結局現状を肯定する為の出汁に使われてしまった感が強いです(※1)。

 

一連の展開を見るに、シリーズ構成さんとしては、女性の解放(?)とか以上に、ヒーローはヒーローであるがゆえに絶対的に正しい(※2)し、庇護されなければいけないという作劇を展開したかっただけのように思われます。

対談では「積み重ね」や「成長」と言う言葉をこれ見よがしに強調して見るけど、実際の作品を通じて我々視聴者がそう思ったかと言うと・・・・なわけで、かといって、上述の「狙い」をそのまま打ち明けても、気恥ずかしさがあるから、あえてそれっぽい言葉を多用しているだけなのではと疑念を抱いてしまいます。

 

別に私は、そういう作品ならそういう作品として打ち出すべきだと思いますし、だからといって価値判断を下して貶し倒すつもりはありません。「そういうもの」として捉えるだけなので。

だから本作には、色々言いつつも、無味乾燥とか味気ないとかいう評価はどうかと思っていて、一応作品としてはバラバラに見えて「筋」が通っていて、ただその筋を指して面白いと思えるかはまた別という次元の話だと思います。

一つの方針を徹底してやりぬけるかどうかというのは、意外に難しいものだと思いますし。

 

私個人としては、そういう作品を見て面白いと思えるタイプではないですが、1年間凄いものを見せられたんだなあというある種のショックはあったと思います。それが覚えられただけでも、それなりの収穫はあったのではないかと思います。

 

 

(※1)感謝祭ではのどかの未来の様子が描かれたとのこと(脚本はシリーズ構成が執筆)

(※2)ここでいう「正しさ」は、作品の中で示されたロジックで証明されるものではなくて、キャラクターや作品の流れが無理やり「正しい」と主張してごり押すタイプのそれ