しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

鳥人戦隊ジェットマン 第32話

第32話「翼よ再び!」

 

▼「空鍋事件」の14年前

子供向け番組、それも特撮番組のヒーローが、「空の」ブランコを指して、仲間達に「恋人」の紹介を始める狂気フルな展開。

マリアがリエに戻ったことで、自己犠牲を肯定とする戦士ロマンスを捨て去った竜ですが、その直後に(ラディゲの手で)彼女がマリアに戻るという二転三転受け、竜はいよいよ「生き方」を見失い、世の中に対して心を閉ざして妄想の世界に逃避。

戦士の使命に亡き恋人の魂をも重ねて「美化」することで、苦痛を和らげようとしていた竜が再度その生き方を貫こうとしたら、敵として立ちはだかる彼女の命を奪いかねないという矛盾が彼を追い詰め、元に戻す為に何をしたらいいのかもわからないので、竜に残されたのは自ら命を絶つか、或いは嘘の中に引きこもって命を繋ぐかのどちらかという絶望的な状況で、死を恐れて後者を選ぶという、紛いなりにも正義のヒーローとして逞しく戦い、体を張って多くの名も知らぬ他者の命を守ってきた竜の弱さがありありと表現され、これまで竜の狂気っぷりが生き生きと描かれていたことも手伝い、堕落した彼の姿は哀愁と言う言葉では言い表せない、空疎さと惨たらしさに満ちたものであるというのがキツい所。

 

▼ヒーローになる時、それは今

それは、結城凱という、屈強な戦士としての竜を嫌悪し、また心の奥底で認めており、だからこそ自らに巣食う不安や恐怖をごまかすための格好のサンドバッグとして己のエゴをぶつけ、内心では死にたくないから、反発しつつも共に戦う隊員同士として協力し合い、例え離反を宣言しても、必ず竜が自分を連れ戻しに現れると思い込んでいる節がある(だからこそ、香とのデートの最中にもジェットマンのことを考えてしまう)という中途半端な関係を続け、依存の限りを尽くしてきたキャラクターを通して観ることで、余計に痛々しさが増してくるのですが、拠り所として捉えていた存在の実像があまりにも小さく、脆かったことを突き付けられ、凱はその現実を簡単には受け入れられない。

結城凱「お前は戦士だ、根っからの戦士の筈だ!こんなお前なんか見たかねえぜ!」

嫌悪と敬意といった、今まで抱いてきた全ての感情を否定するような竜の弱さをなじる凱。

天堂竜「いやだあ!俺はここにいる!リエと一緒に、ここにいるんだ!」

竜は、存在しない恋人の名を呼びながら、怯えた目を空のブランコに向けるばかりである。

結城凱「好きにしろ。だが俺は待ってる。俺たちはお前を待っているぞ!」

頼れる者はもはや存在しない。それでも、誰かに頼ってしまう弱い自分だからこそ、目の前の男の弱さを理解してしまう。故に、今度は自らが戦士として立ち上がることで、自分と同じ弱い者に「生きる」ということを示さなければならない。目の前で生きる意思を失った者の為に、ここにきて初めて戦士としての自覚を認め、自らの弱さを乗り越え、己の足で立ち上がるという、「俺たちは戦士である前に人間だ」と主張してきた凱が、今初めてその言葉を己の「本音」として体現して見せた、とてつもなく私的で、だからこそ優しく力強い「戦士」としての脱皮。まごうこと無き名場面だと思います。

 

その無力感と欠落感故に、凡そヒーローらしからぬエゴを周囲に吐き散らしてきた竜と凱ですが、自らを人間と言ってはばからなかった凱から見た竜は、完全無欠のヒーローであり、生身の人間故に、大義の為に尽くすとの生き方の壮大さに圧倒されるが故にに嫌悪感を覚え、一方でその辿り着きようがない強さに甘えきるという、ダブルスタンダードとも言うべき態度で向き合っていたのが、竜がその内面の弱さを惨たらしい形で披露する形でその完璧を悉く否定することで、ヒーローの不在をこれでもかと見せつけると言う、ある種のヒーロー否定の作風なのですが、ヒーローの否定を前に、その甘えを自覚し、自分がヒーローに近づかなければならないという視点を持ち込むことで、それぞれ生身の個々人がヒーローになり得る=だからこそ、ヒーローとはかくなるものと、その実態を捉えることができるということで、それはヒーローの矮小化で括られるものではなく、観ている者に相応に「強くあれ」と迫る誠意に満ちた厳しさを伴ったものであるというのが、本作の良心であると言えます。都合良く出来上がったヒーローではなく、ヒーローに変わろうとする人間を描くことで、ヒーローのあり様を見せつける。それこそが「俺たちは戦士である前に人間だ!男と女だ!」の真意なのでしょう。

 

▼実はクロスチェンジャーの販促回

マリアに襲われながらも、空のブランコに乗る幻のリエに縋る竜ですが、ブレスレットに貼ってあった笑顔のリエの写真と眼前のマリアを共に目撃することで、廃人状態を抜け出します。写真のリエを通じて幻ではない、二つの現実=リエ/マリアの存在を突き付けられたことで、歪められてしまった想い人を救いたいという想いが弱さを克服させ、現実に立ち向かう勇気を与えたのでしょう。大切なものを本当の意味で自覚し、己の弱さを乗り越えた竜が、仲間達の下に現れて5人で合体魔神を葬る様は、戦隊シリーズの醍醐味に満ちた熱い場面だったと思います。来年の戦隊も頼みますよ!!!

 

▼倒れたら立ち上がり前よりも強くなれ

前回手下にしようとした魔神から返り討ちに遭ったラディゲですが、しつこくアプローチを続けた結果、合体魔神の洗脳に成功。毎回殴られ馬鹿にされてと情けない姿を晒すことが多い一方で、それでも勝機を狙って挑み続け、結果として逆転に持ち込むしぶとさは、主人公の人生を狂わせた元凶としての凄味として昇華されています。前作のガロアが因縁の相手からただのイタイおじさんレベルに堕ちてしまったのを考えると、多少なりとも反省の意味もあったのかもしれません。