しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

鳥人戦隊ジェットマン 第42話・第43話

ここからはほぼ井上敏樹のターンで、例の如くべた褒め連投になるので胸やけに注意。「ドンブラ」開始までには書き終えたいけど、無理かなあ。

 

 

第42話「おれの胸で眠れ!」

 

▼すれ違い

命の恩人に近づこうとするG2、傷ついた想い人を自らの身体で温めようとしたグレイ、悪に操られた恋人を取り戻さんと必死で呼びかける竜。それぞれの想いが強く打ち出され、しかし一方通行のまま報われることなく終わるという、切なさ全開の内容。

壊れそうな凱と香の関係、トランザの暗躍、そして不自然なほど豊富な生身アクションも含めて、盛りだくさんで大好きな回です。

 

▼丁度G1TF末期

以前より、酒を飲んだりタバコを吸ったり音楽を嗜んだりと、人間らしさが際立つグレイ。「ロボットのくせに音楽を愛するなんて」と言われて怒ったような素振りを見せた場面がありましたが、今回登場したG2の扱いを見るに、やはりロボットである自分を肯定しきれないものがあったのでしょう。

戦闘ロボとして作られながらも、その不出来故に生みの親から見放され、訓練用としてサンドバッグ代わりの憂き目に遭うG2が登場したことで、ロボットの操り人形としての側面が映し出されました。

これを踏まえると、酒や煙草の愛飲といったロボットらしからぬ嗜好を示すのも、同じロボットとして虐待されたG2を助けたのも、ラディゲの支配を受け入れることなく、果敢に挑み続けるマリアに憧れたのも、グレイに内在するロボットとしてのコンプレックスから来ていると言っても過言ではないでしょう。

そんな気持ちとは裏腹に、ロボットの金属の身体が重傷を負った想い人を温めることなく、逆に冷やしてしまったことで、ロボットとしての自分自身を突き付けられてしまい、どうしようもなくなったところを、「戦士」としてのアイデンティティに身を置かざるを得なくなるというのは皮肉です。「戦士」としての性質は、どんな相手にも屈しない強さと結びつくので、グレイ自身はその生き方を誇ることが出来るのでしょうが、それはあくまでも戦闘ロボットとしての機能に裏打ちされるわけで、結局は自信の身体性や出生と切っても切り離せない所で立ち回るしかないというのが悲しい所です。(G2が虐待されるに至ったのも、戦闘ロボットとしての能力に欠けていたからですし。)

今回までどちらかというと不気味なキャラというイメージが強かったグレイですが、G2周りの描写によって彼のキャラクターがいよいよ伝わってきました。

 

 

第43話「長官の体に潜入せよ」

 

▼マナー講師撲滅用ヒーロー

前回、テーブルマナーに意味を見出せずキレたかと思ったら、今回は香の両親の問いかけに憤慨し、学歴職歴で何が分かるんでいと香にエゴを吐きだしたりと、中々にロックな凱。

元々自分の我を張る為に竜に反発してきた男で、一応自分の弱さを認め戦いに身を投じる決意を固めたとはいえ、だからといって間違っていると思うことに迎合する程単純な人間ではないということで、凱という男がけして都合の良いお兄ちゃんというわけではないことを表しています。

自分の中の矛盾や過ちに気づきそれを認める勇気と、自分が間違っている、意味が無いと思う事に迎合することは違うということで、なまじ32話の展開もあり、浮ついた反抗心に由来するものではなく、結城凱という一人の人間の個性として定着してしまったというのが面白い所です。香が提案した彼女の両親との対話に対しても、無意味と言わんばかりに聞く耳を持たず、ストレートに我侭で視野狭窄なのですが、本人は至って真剣なので、アウトロー的スタンスが治ったどころか悪化したとさえ思える状態。

まあ、第4話の北大路クン程極端ではないにしても、「世界を動かす」という大きな役割を持った大財閥の令嬢として生まれた香としては、本人がそれなりに我侭だったのもあって、個人的な価値観に拘泥する凱の気持ちを斟酌しつつも、その出自故に自我の張り時や張り方を弁えているが故に、あくまでも自分を通そうとする彼のあり方とはどうしてもギャップを感じざるを得ない所でしょう。

気の強い部分で共通しているとはいえ、アウトローとして生きる凱は自分を、香はお嬢様として社会を背負うという明確な立場の差が露わになりましたが、社会と個人のギャップは何も今回から出てきたネタではなく、竜が提唱してきた「俺たちは戦士だ」論等とリンクする所ではあります。

北大路クンのように「虫けらのような人間が何人か死んだところで世の中は変わらないのでOK」というのは極論ではありますが、社会的な規範や価値観が個人の考え方を抑圧するというのは往々にしてあるわけで、個人がそれに同意出来ればまだしも、それが出来ない以上排除されるしかないのは世の常であり、そういう意味では「地球が大変なんだ。個人的な感情なんて問題ではない」というかつての竜のあり方と親和しているところで、戦士としての在り方(ヒーローものとして)を通じて打ち出されたネタを、テーブルマナーや職歴学歴といった日常の中で重視される規範や価値観に落としてきたというのが、本作の一つの特徴と言ったら大げさでしょうか。

日常的な価値観をフィクションとしてのヒーロー活劇の中で落とし込んでいった方が寓話としては自然に思えますが、本作が形骸化したヒーローものに血肉を与えるという目的の下作られたのだとしたら、創作上の「ウソ」の中で一つのネタを描いた上で、日常の中で繰り広げられる交流や所作の描写として、「ウソ」の中で展開したネタを再度披露することで、「ウソ」が存在感を増してくるという逆転の発想は、スタッフが意図していたのかどうかは知りませんが、目論見としてあったのかはちょっと知りたい。(80%くらいの確立で893からは「ねえよ」と言われそうだけどNA)

で、話は変わってしまったのですが、社会と個人のバランスをとるのはけして簡単ではないですし、状況によっては不可能と言っても過言ではないのですが、前述のように凱は凱で自分の考えに拘泥しており、今までのような露悪趣味で茶化す皮肉屋の部分はなりを潜めたように思われますが、自分の中の価値観に拘るがあまり、他者との溝を広げてしまう負の側面が噴出。

人間として、ヒーローとしては、確かに成長(変化)しているのだけど、個人の我は惜しみなく出すし、それは割と引くレベルで身勝手だし、相応に人間関係の不破の原因になっているという筋の通し方も含めて、凱周りの描写は個人的には大好きなのですが、そこを指して「ただのガキオヤジ(親父って歳じゃないけど)」「ドキュソ」と切捨てる意見が出るのもやむ無しと言った所で、本作に対する好悪が大きく別れるポイントかなと。

最終回で凱は〇〇ますが(一人歩きするレベルで有名な展開なので、伏字にする意味ってあるのかなあと自問)、己の価値観に拘るアウトローとしての凱が確立された一方で、そこを今一歩脱することが出来なかった凱がああいう結末を迎えるのは道理なのかもしれませんね。

 

▼今回の主役

強い。それだけ。いや、大事なことですよ

もうさ、バードニックウェーブ浴びちゃいなよ。ラディゲもトランザもワンパンでしょ?

気に入っているのは「今まで完璧な人生を送ってきた私に、よくもよくも恥をかかせてくれたわね!」という台詞。一条総司令に対しても「嫉妬乙」みたいなことを平気で言ってみたりと、「私が優秀なのは事実なので誇っても問題ないでしょ」と素面で言いそうなスタンスが、実際の有能っぷりに合わさって、まあ、男としては・・・ね?

 

▼遺伝確率250億分の1

どちらかというと劣等生だった凱と香が、ちゃんとメカを使いこなし、データを読み取っていたりと、戦士として一皮むけた姿を披露。機械音痴の香は第30話で自分の弱さを自覚して勉強に励んでいたのもあって、細かいながらもこれまでの描写のアンサーを提示しているのが巧い所です。ジェットマン全体としては長官の力(落涙という生理現象も含めて)を借りないと何も出来なかったというのは割とヘボかったのですが、まあ長官だし仕方ないね。てか、割と強運で助かってる感も強いので、ホントになんなんでしょうねこの人。