しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

恐竜戦隊ジュウレンジャー 第12話~第14話

今日は長め。いつも以上にダメ出しばかり。杉村さんってこういう作風だよねっていうのも含めて。

 

第12話「パパは吸血鬼!?」

こういう山なし谷なしどころか、ちょっとの段差や坂道、というよりそもそも出歩くことすら許さない、バリアフリーを飛び越えて老化に一直線なお話が、感想を書く上で一番困るよなあ。

今回は高久脚本ですが、いつもの杉村脚本のような、見ている人をドン引きさせるようなトチ狂った性質を持っているだけのヘンテコ登場人物や、「脈絡」と言うものを意識しようものなら泡でも吹いて倒れかねないトンデモ展開の過剰積載みたいなお話の方が、こちらも拙い語彙を駆使してあれこれと話題を引き出せるというものだけど、こういう何処が見所なのかもまるで見当もつかない癖して、形だけは小さくまとめてはいおしまいという、無味無臭形なしそれつまりすなわち空気なりというシロモノになると、こちらはなんも言えません。空気は生きる上で必要だけど、この話はまあ、観なくても・・・ね。

と言いつつ、部下の怠慢に愚痴垂れつつも罰を与えるわけでもなく、困っている部下には援軍を差し向けるバンドーラ様の親分としての度量が演出されていたのは良かったと思います。ゲキよりリーダーしてるじゃんバーザよりサポーターしてるじゃんあんたら一体なんなのさって、結局ダメ出しになっちゃうんですが。

 

第13話「射て!黄金の矢」

出会い頭に子供の集団からかくれんぼの誘いを受けるメイ。お前らどういう関係だよ。いきなり変なうさぎの着ぐるみ(トットバット)から毒リンゴを渡され、平然と食べて当たり前のようにピンチになるメイ。ちょろいNA!

メイの弓でしか倒せないなんてあらへん!と敵に挑むゲキたちですが、武器位なら借りればいいのに。てかこれ、メイのこと諦めてます?

まあ、メイの精神力と言われても、何かあったら情に訴えかけて場を乱すか、仲間に試練を丸投げするかの人なので、正直無いものどう期待せいっちゅうねんって話だからなあ。

「選ばれた戦士だから」「リシア族のプリンセスだから」という肩書で立ち直るのは良いのですが、何を以て選ばれた戦士で、リシア族のプリンセスなのかというのを描いてきた訳でもないので、それっぽい止まりな印象。どんな困難にも負けずに頑張ってきた強い自分だからこそ名乗れる「戦士」であり「リシア族プリンセス」であり、それを自覚することで自分を信じ最後に自らを救うことができるという流れとしてなら分かるのですが、その辺りの意味付けが希薄なのと、上述のようにこれまでメイ自身に強い精神力を感じたことも無かったので、ふわふわした言葉で恐怖をごまかしただけに見えてくるのが残念。

うなされるメイの横で祈りのポーズをとり、何をトチ狂ったか、顔を近づけて説教をしだすバーザがすさまじくうっといですね。悪夢で魘されてる時におじいちゃんのあつっくるしいお説教を至近距離で聞かなきゃいけないとか、それこそ悪夢でっせ。

おまけに知り合い(多分ノーム)はリンゴ贈って来るし。リンゴになって苦しんだ子供達のトラウマなんてまるで考えない所が如何にもだなあ。まあ、子供はそんなこと関係なしに食べてるということで、子供の強さを表現したかったんでしょうけど。

最後リンゴ二つでメイのおっぱいを作ってふざけるダンの消防でもやらないようなこっぱずかしいギャグで幕を締める所も含めて、頭のてっぺんからつま先までツッコミどころしかないバカみたいな内容(いつものことじゃん)ですが、魘されたり凛々しかったりセクハラされたりするメイの色んな表情を溌剌と描きたいという、荒川さんの趣味嗜好を多分に感じさせます。実際可愛いと思うので、これはこれで良いんじゃないかな。なんやかんやで電脳アイドルやジュウレンジャー云々ってより、ネットスラングの名付け親的立ち位置の方が印象深くなってるので、今見ると逆に新鮮な気もします。

 

第14話「小さくなァれ!」

無駄に理不尽で、無駄に感情移入が難しいキャラクターのオンパレードで、それでいて別に面白い訳でもない、杉村脚本の悪い所だけがもりもり出た酷すぎる内容。

親に怒られた子供に同情するボーイと、近頃のガキはどうしようもないから怒られるべきと言うダン。この辺の解釈の違いが登場人物の個性として納得できない所からして、泣けてきます。ダンってどちらかというとダメな人間にカウントされる方だと思いますし、第7話で嫌がっている同級生にプレゼントとして芋虫をあげるような、それこそとんでもないダメ人間と一応付き合い、なんやかんや同調してそこそこの関係を築いてきたダンが、知りもしない子供に対してそれを言うのかと思う所(その癖立場が悪くなったらおべっか使うし)。ボーイも真面目だけど、小さい子供の気持ちを理解するってタイプだったのかって話だし。

じゃあ今回のガキが馬鹿だけど好感持てるタイプなのかと言うと、とんでもないキチガイいきなり現れた妖精にそそのかされて一緒になって泥棒三昧。実際に動いている飛行機まで吸収して、ボーイたちに言われるまで中に人がいることすら気が付かず、それでも一応は謝罪の気持ちを表明する程度の善意を持っていたかと思ったら、見ず知らずのバンドーラの口車に乗って巨大化し、躊躇なくジュウレンジャーを踏みつぶそうとしたりと、何が何だか訳が分からないです。

妖精も同様に意味が分からないです。子供を怖がらせろと言うバンドーラにのこのこ協力する癖に、吸収した人間に悪いことをしたと言い出す。ガキもそうですが、加えてバツが悪くなるとすぐ言い訳するので、ただ理不尽なだけでなんの魅力も無い酷すぎる人物造形。

ここまで来るともうサイコとしか言いようがないガキを、ボーイが一方的に擁護する展開も狂気フルMAXで、既に私の頭は毒電波ゆんゆんくるくるぱー手前。泥棒をしてもなんとも思わない、人をさらっても怯えさせても「知らなかったんだから大目に見てくれ」と、そんなksgkの歪んだ精神性を「母親の育て方が悪い(キリッ」の一言で片づけ、その一言で母親も折れてしまう展開が輪をかけてまたどうしようもないという、トンデモ展開の連鎖がこちらの脳みそをフルスイングでぶっ叩き、おまえもきちがいになれと迫ってくる頭のおかしい描写の雨あられこういう親って我が強いから、普通はもっと食い下がると思うんだけど、もしかして巨大化した子供にビビってるだけ?世話ねえなぁ。子供だまし極まれりだよ。

今回に限らず、杉村脚本は随所に子供の心をくすぐるようなアイデアをちりばめ、ヒーロー自身もこれといった裏表のない性格の持ち主で、良くも悪くも分かりやすい作風ではあると思います。ただ、一方で人間の多面性や感情の機微といったものを掘り下げたり印象付けることでキャラクターを広げていくことが出来ない、それ即ちドラマに深みや独自の味が生まれないということで、至極一面的な作風という印象を抱かせます。

前作でメインを務めた井上敏樹は、登場人物の非常識と我の強さを前面に出しつつ、一方でその人なりの善良さや実直さを表現するのに長けた作家だと思うのですが、対照的に杉村脚本はキャラクターの良し悪しを記号的に処理するのが関の山で、奇態な印象のキャラクターについては、実は良い所もあるというよりも、ただ芯が無くて、性格に問題があるだけの、何処から眺めてもどうしようもない存在として描いているようにしか見えず、多かれ少なかれ呆れの気持ちが強まる傾向が強いと思います。

例えば、桃井タロウも大獣神も、人情に疎いという点では共通していると思いますが、前者は少なくとも合理性や正しさといった核の部分があり、だからこそタロウの奇妙な発言の一つ一つに彼なりの真理が備わり、少なくとも自分の中では、作品を楽しむ上での求心力になっているのですが、後者についてはやることなすことただ理不尽で脈絡が無いという印象で、奇態な行動をネタにして楽しむことはできても、文芸作品の登場人物として見るとかなりきついというのが正直なところです。

「ランプの精」のエピソードなんかも聞くと、ご本人は凄くまっすぐな方だったのでしょうけど、反面人の裏表や機微等を捉え切れない、失礼を承知で単純な部分があったのかなと、邪推してしまう所です。

「ランプの精」を悪人にして、子供の欲望を駆り立てるというプロットも、子供がその欲望を反省し、自分自身がヒーローに成り代わるという展開にしようと思えば出来た訳ですし、要は描き方の問題だと思うのですが。

そういう良くも悪くも純粋な面がそのまま作風として反映され、それが良い部分にも悪い部分にも、最も分かりやすく、極端に反映されたのがファンタジー三部作なのかなあと、眠くなったので雑に結論付けてみる。