しがない感想置き場

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暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン33話

ドン33話「ワッショイなとり」

 

はるかのスランプや雉野の心の弱さ、そして第1話以来の登場となる、ソノイのヒトツ鬼化促進術等、これまでばら撒いたネタに対して、893から「忘れてねえぞコラ」と凄まれる回。

ドンモモと化したソノイがどんぶらで「黍団子」を食してみたりと、これまでの描写を活用しながら、細かい所で「変化」を強調してくる作りがちょっと気に入ってます。

 

ソノイによって強制的に欲望を肥大化させられ、雉野はまたもヒトツ鬼化。ソノイの超パワーによる効果だし、はるかと猿原も一時的に鬼になってしまったので、15話の時と比べるとやむなしという感じではあるものの、タロウの復活を受けて力を制御することに成功したJKとニートに対して、一応社会人たる雉野は飲まれたままというのが明確な差として改めて露わになり、二度にわたって御払いの対象となる所が第8話(正確には第6話?)から続く、雉野はヤバい人路線を改めて強調。

猿原もはるかも、我欲に対してはあさましい面がある一方、同時に自信家のナルシストで、こうあらんとするプライドから力を伴う邪念に抗おうとするんだけど、雉野の場合はそもそも自分に自信が無いので、自分を称賛してくれる存在そのものに対する依頼心がそのまま欲望として前面に出てしまい、抗うどころか自分からのめり込んでしまう感じなんだよな。

で、猿原とはるかがタロウを見て自分の弱さに打ち勝てたのは、一重にタロウに纏わる諸々の規格外っぷりに対する神格視からで、はるかが自分の身を犠牲(生贄)にして神様たるタロウを復活させようとした第15話の振る舞いを彷彿とさせるのだけど、気丈に振舞いつつも、人間故の脆さや醜さを捨てきれず、だからこそ超越的な何かに縋ってしまう「人間」のいじらしさがあるのかなと。いつもの登場シーンとか手術後のエフェクトや強化アイテムの名前は、別にネタでもなんでもなくて、真面目にタロウを「神様」として描いてるからなんだろうし。

なんだか「宗教」めいて聞えちゃうんだけど、ヒーローと人間の関係っていうのは、自己研鑽の為に目標として良い意味で刺激になる一方で、その強大さから依頼心に繋がって、自分自身の存在すら否定しかねないって危うさも内包しているから危ないよねって話。まあ「ウルトラマン」の再生ピグモン登場回等、既に触りまくってるテーマ性で今更物珍しい訳ではないけど、この辺を今後どう描いていくかは結構興味があります。

 

タロウの復活と強化もギャグめいているんだけど、皆の生命力を神様にお供えするのは、プチ生贄感がありますね。タロウも「不死身」を自称しつつ、はるか達のおかげで力を得たことを理解しているらしく、神様もわっしょい奉ってくれる人が居て、初めて存在出来るって感じで、ちょっと好きな展開。

前回強化したソノイに邪魔され、ヒトツ鬼常連と化した忍者鬼を救えなかったタロウが、同じく常連と化した雉野を新技で元に戻せたと言うのも、強化アイテムの強調イベントとしてはそれなりにキレイな展開だったと思います。

 

強化アイテムのオミコシフェニックスは、テトラボーイとビークスマッシャーをがっちゃんこしたような立ち位置。ゴールドンタロウについては、バレ画を見た時こそ「自分を西洋趣味だと思っている成金趣味マンによるデザイン」って印象が少なからずあったんだけど、「お神輿の金色」って捉えたらかっこよく見えちゃう単純脳っぷりが、我ながらヤになります。

 

※追記

雉野はタロウを「唯一無二」の超人として認知してはいるんだけど、彼への信仰心からヒトツ鬼から免れた訳ではないことを考えると、神様を神様として認めるには、自分もまた相応に高みに立たないと難しいって言うのはあるのかも。ムードメーカーで怪獣退治用の兵器開発におけるスペシャリストだったイデ隊員が、ウルトラマンの凄味を前にヘタレてしまった様に、実力と行動でならした存在故に、超人の凄さが却って印象づけられるってことなんだろうな。はるかは勿論、猿原も凡人を自称こそすれ、悩み相談で持て囃されてるだけに自分の立ち位置に全く無自覚って訳ではないだろうし。対する雉野は、頑張る時は多いんだけど、自信が無いから結局長続きしないし成果にも巧く表れないので、自分で自分を過小評価するから、タロウについても凄いってだけでその実力を正しく捉えかねるって感じだろうし。

ウルトラマン自身は地球人と直接会話をすることもなく、タロウもまた人に幸せを運ぶ一方で、その性格と能力から他人に煙たがれることもしばしばだったりと、強い力を持って尚且つ他人に奉仕する癖に、他人を癒したり慰めたりと言った人間的な温かみに欠ける部分があって、凄い人ではあるけどその存在が自分の満たされない部分の補強になるかって言うと、そういう訳でもないって位置づけになるのかと。そんなだったら、俗人にとってヒーローっていうのは、「なんか強い人」どころか「自分を助けてくれる機械」みたいな余所余所しさ抜群の印象が関の山かも。