しがない感想置き場

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「水星の魔女」を観た③

溜めていた「水星の魔女」を第4話から第6話まで観た。途中「SEQUEL」の更新時期と被ったのもあったけど、連続で観るとつまらなさも2倍3倍で押し寄せて、まあ辛い。好きで観ている癖して言うのもアレだけど、無給労働に通じるやるせなさというか。少なくとも、日曜日の夕方に観るもんじゃないよ。

 

第4話は「みえない地雷」なんて、タイトルの時点でクルクルパーだが、内容は輪をかけてパッパラパー。ボルガ博士の頭の爆弾が爆発した後みたいなノータリンっぷり。

 

まずスレッタの学園の試験だが、いざ試験という段階で、「メカニックはどうした」も糞も無いだろう。普通は事前に、こういう趣旨の試験をやるから、それまでにメカニックを集めてこいと指示がありそうなものを、この学園はそういうこともなしに、いきなり生徒を試そうってんだからなあ。ハートマン軍曹だって、こんな理不尽な教練はしないと思うぞ。

まあ、学校の運営に問題があるのはともかくとして、スレッタはスレッタで、試験の内容を周りに確認するという発想は無かったのだろうか。学園生活を楽しみたいとか頑張りたいとか意気込む割に、試験について調べようともしなければ、そもそも制服の仕様すら勘違いしてたもんな。コミュ障だけど、人と会話できないレベルじゃないし、何が何だか。

てかなあ、エアリアルに乗った時はあれだけイキり散らかしていた癖して、試験機に乗ってしくじったらびえんびえん泣きだすのは、それは強気で頑張ってきた登場人物が、内に秘めた弱さを表明した、庇護欲擽りシーンと呼ぶよりは、凡そ美人とは言えないイキリ女が、自分の雑魚っぷりを突き付けられた挙句、逃避欲求丸出しでうじうじえんえん泣いてるだけの、見苦しい光景以外の何物でもないんだよな。そもそも、水星に学校を作りたいとか若い人を呼びたいっていうのと、MSの操縦試験に合格することがどう結びついているのかも分からないし、あげくの果てにはおジャ魔女どれみ」のドドを無理矢理人間にしたいみたいな女DQN女の殴り合いでしょ?ガンダムを出す代わりに、ウスノロ白痴女の泣き顔と、DQN同士の喧嘩を見せつけてどうすんだっての。

一応、スタッフもこの見苦しい光景を、日曜日の17時に垂れ流すという大罪への罪悪感を多少なりとも持ち合わせていたようで、自室でブーツを脱ぎ、10代特有の発汗で湿って酸っぱい匂いを放っていそうなタイツ足を晒しながらくつろぐミオリネの場面は、「どうぞこれを見返してお目直しを」という作り手による精一杯のサービスシーンとして評価してあげたいけど、そういうエンターテイナーの心意気に通じたインテリ視聴者以外楽しめない作品ってのは、やっぱり欠陥があるとしか思えんよね。

 

第5話、第6話は、改造人間エラン君の悲哀と同時に、色々刺激的な情報を披露しちゃいますみたいな内容で、これまでと比べてあからさまな歪みが少ないだけマシだけど、反面エランのキャラがストーリー上の駒以上でも以下でもない印象で、感情移入が出来ないんだよな。スレッタとPROLOGUEの女の子が別人かもだとか、エランが代理人間だとか、確かに興味を引く要素ではあるんだろうけど、そもそもの作品世界や登場人物の魅力に欠けるだけ、それぞれの情報が持つ破壊力というのが半減しているんだよな。

全く知らんおっさんが明日性転換手術を受けるなんて情報を聞かされても、「大変そうだな」となんとなく思うのが関の山で、「いい女になってこいよ!」とエールを送ったり、「絶対にダメだ!男であるべきだ」と反対したりと、強烈な感情に突き動かされて反応することが無いのと同じと言うか。

 

エランのクールキャラは、改造人間としての前途の無さ故に孤独を感じ、自分から殻に籠った結果、本当に望んでいた他者との繋がりを獲得し得なかったやるせなさとして描いていたんだと思うけど、印象に残っているのがスレッタに近づいて何やら少し会話を交わした位で、彼の孤独や絶望の深さと言うものを感じるには、描写が不足していたとしか思えないんだよな。自分以外の学生の友情やら何やら、そういうものを見たり、また自分自身がその渦中に入った上で、それでもどうにも埋まらない彼の心の傷を抉りだすという訳でもなく、ついぞ最近持ちあがった改造人間設定に依頼するだけで、心に訴える人間ドラマを紡ぐというのは土台無理というか。

 

で、そんな彼を救おうとするのがスレッタというのも、別に面白くなくて、「誕生日は無い」と言い切るエランに対して「お母さんに教わらなかったのか」と聞いたり、いきなりハッピーバースデートゥーユーを歌い出して「今日を誕生日にしよう」と相手の意思を確認する前ににズケズケ迫ってくる様は、「鬱陶しい」を通り越して、人の心に寄り添うより前に、ただ自分の欲求や価値観だけで行動するアレ人以上の人間性を見出せないもんなあ。決闘も何故か平然と受けちゃうし、一応自分を庇ってくれてるであろうグエルに対してもやたら喧嘩腰だし、相変わらず変なヒトだよね。ヒトじゃない可能性も大だから、人格がアレな理由もそこで説明してきたり?

 

なんというかまあ、毎回比較するようで悪いけど、「SEQUEL」だって同じようにガンダムはろくすっぽ出てこないけど、登場人物にはそれぞれで矜持があり、その部分の掘り下げは本作なんかよりも遥に明快且つ、センセーショナルに実践しているんだよな。生まれ落ちたその場で自分を産み落とした存在の死を目撃したトラウマから、神を信じず全てを滅ぼすことを誓うカオリスだからこそ、痛みや死を恐れず、むしろ命のやり取りに喜びを見出す勝ち気で強気なキャラクターが生き、それが同じ殺し屋であるデュランとのライバル関係を違和感なく成立させているから、自然とドラマに動きが生まれる。舞台設定の解説も、4人の囚人に課せられた人生を賭けた試練という名目の下行われるからスリリングな味が出てくるし、本作みたいにそれっぽい固有名詞や専門用語等で硬派を気取っただけの、リアル風百合アニメ風逆ハー風メカアニメ風の何かみたいな、アバウトな代物じゃあ消してないんだよね。

 

しかるに本作の登場人物は、脚本家に吹き込まれたそれっぽい台詞を吐くだけのテープレコーダーと化し、グエルに至っては、「思わず告白しちゃったけど、実はあれは勢いです」という不自然極まりない言い訳でその場を繕うキャラに堕ち、その前に生えた主体性をモットーとするキャラが早速改変されていたりともう開いた口が塞がらない。親の威光が無いと立つ瀬がない立場を自覚しているというのは分かるんだけど、告白を取り消すなんて全くの無意味なわけで、その辺はもう開き直るか、敢えて言及しないかのどちらかしかないと思うんだよな。態々意味もないのに自分を否定する行動をするというその行為自体が、人格破綻としか思えないんだがなあ。温室を壊したことを謝る姿も、育ちの良さや成長というよりは、前日の晩にでも不味い飯を食べて、ショックでいきなり人が変わったとしか思えず、作家の操り人形以上の印象を見出せないんだよな。

 

こんな調子でとりあえず7話も観ようとしたら、総集編とのことでちょっとびっくり。

作画は良いので相当なリソースが投入されてるのは伺えるし、武○風邪も未だ猛威を振るってるしで諸々あったのかもしれないけど、「種」「種死」は勿論、トランスフォーマーV」だって新規回でやってる頃だもんなあ。往年の総集編過多ロボアニメと比較しても、息切れが早すぎる気もするよなあ。