しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン43話

ドン43話「ときかけなぞかけ」

 

椎名ナオキの正体は未来(別時空)のはるかでしたということですが、
「色々分かってスッキリ!」と言うより、「また謎が増えた・・。」という混迷極まる状況に。井上脚本なのである程度のテキトー展開はしゃーないにしても、ちょっと整理が追い付かんよ。

 

とりあえず、これまでの話の流れも踏まえつつ、椎名ナオキこと未来はるかの行動を追っていくと・・・

 

・戦いに疲れ、溜めたポイントで過去に飛んで休暇(創作活動)を始める

・過去でPNで「失恋ナイト」(同人活動)を描くが、時空が混乱したことでもう一人のはるか(今はるか)が存在することを知る

・自分の漫画を完成させる為に、今はるかの「初恋ヒーロー」を盗作呼ばわりする

・未来はるか、「真・初恋ヒーロー」で華やかに商業漫画家としてデビュー。

(・今はるかがポイントでオニシスターを辞め漫画家としてデビューし直すが、この時未来はるかがどうなっているかは言及されず)

・「真・初恋ヒーロー」映画化の試写会で、今はるかの怪演を観て喜ぶ

・今はるかと対面し、漫画対決をして完勝

・獣人の森から犬塚を助けるが、今はるかと顔見知りの筈の夏美は助けず(時間が無かった?)

・今はるかに正体を知られ、描き残した最後の一コマを今はるかに託して未来に帰還。

 

と言う感じか。微妙に腑に落ちない点もあるけど。

 

闘いに疲れた体を癒す為の休暇というのは分かるのですが、何故過去に飛ぶ必要があったのでしょう。漫画なら未来でも描けると思うのですが。過去に戻った場合、元々の過去のはるかの自我はどうなってしまうのか全く分からないし、はるかじゃないけど「何故が一杯」。

過去に戻ったのは、全盛期の創作能力を駆使して、描きたかった作品を今度こそ完成させたかったというのがあるのでしょうか。ソノザの指導やバイトをする時間などがあるのを見ると、ドンブラザーズの戦いで忙しくて完成させられなかったと言う程常に闘いという感じでもないと思いますし、二足のわらじは不可能ではないと思うのですが、やはり未来はるかも、力を得た代償として盗作騒動に巻き込まれたのでしょうか。仮にそうだとしても、過去に飛んでもどの道盗作騒動に巻き込まれて作家生命を断たれる訳でしょ。そこはポイントパワーで何とか辻褄合わせをしたということなのか?

 

PNで同人活動を始めていたのは何故だろう。そのまま編集に持ち込めばよかったと思うんだけど。確か今はるかは本名で商業漫画家として活動していたんだよね。もう一人のはるかの存在を知って、未来はるかが先に同人活動としてPNで同じ内容の漫画を描いてはるかを盗作犯扱いにしたならまだ分かるけど、活動後に今はるかの存在を知った訳でしょ。なんか因果関係が成り立っていないような。
てか、自分の夢を満たすために今はるかの前途を断つような真似をするのはどうなんだろう。同一人物とはいえ別時空の存在な訳だから、もう別人って言われても仕方ないと思うんだけどなあ。

 

今回未来はるかがタロウに対してやたら恨み言を述べていた辺り、未来はるかは自らを律する支えを失っている状態なのかしら。
元々真理菜の為に漫画の道を捨てて、ヒーローとして生きることを決意したはるかが、破天荒ながらも有能且つヒーローとしてブレないタロウの為に自分を犠牲にしようとしていたのを見るに、限界寸前の自分のメンタルを、タロウと共に戦うことでなんとか維持しようとしていたようにも見えたんだけど、なんらかの理由で未来タロウが自分を裏切るようなことをして、はるかの中のエゴの部分が大きくなったってことなのかな。最も、潰えかけつつもわずかに存在する自分の誇りを、せめて漫画の中では活かしてあげたいという気持ちもあって、そういう葛藤からタイムスリップしてきた可能性はあるんだよな。

 

猿原が金アレルギーを克服した理由は分からないけど、他人の邪悪な欲望に対して理解を示したってことなのかなあ。未来はるかが今はるかにやってることはヒトツ鬼となんら変わらないと思うんだけど、一緒に戦ってきたはるかの葛藤と悲しみを目の当たりにして、人間の持つ邪な心に対しても受け入れる気持ちを抱いたということなのだろうか。夢を持つ必要が無いという点では、空想の世界で生きることが出来る猿原も同じだけど、空想をするということはそれ相応に対象を欲しているからだし、そういう凡人寄りの感性からはるかの気持ちに段々寄り添い、はるかもまた変人ながらも、一部ではタロウに近い猿原の存在を受けて恋人関係を続けているのかなあ。

 

猿原曰く「夢を持つほど不幸ではない。だから幸せも分からない。」ということで、タロウは完璧故に変化する必要も無いから、何かを成し遂げる為に執着する常人の心に寄り添えないと。

友達が欲しいというのも、皆が持っているから欲しいってことだろうし、サンタさんとか結果的に遊んで楽しかった相手とまた遊びたいと思っても、それは誰でも良いから友達を作ろうという気持ちには結びつかず、相応しい友を求める機会にも恵まれなかったんだろうな。他人から嫌われたり、肩を並べるに相応しい相手とも出会えないタロウだからこそ、「縁」というどこか余所余所しい距離感で人との関係を繋ぎとめるにとどまっていて、一方で欲しい物を見出せない欠落に自覚的だからこそ、他者との絆に人一番敏感で、態々「縁」を語り、その結びつきの輪の中にいずれ自分が欲する何かが現れることを望んでいるのかもしれない。縁が出来たから幸福を運ぶのではなく、幸福を運ばれることを期待して、その縁を繋ぎとめようとする。丁度自分がサンタさんから幸福を運ばれたことが嬉しかったように、相手だって自分を好いてくれる筈だという狙いがどこかにあるのかもしれない。

 

とにもかくにも、カオス極まりない作風は今年も(てか後2か月弱)続きそうですが、とりあえず事の成り行きを見守っていきたいです。