しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

王様戦隊キングオージャー 第25話

「民」の語源は、「目を潰された奴隷」とのことです。

はい。それだけです。

熱い話。あくまで

 

ダブスタ極まりないジェラミーにツッコミを入れるゲロウジーム。綺麗事だけで行動するから、弱さや怒りに呑まれてすぐにブレるんだという事かな。

ジェラミーのスタンスを「否」と断言する姿勢は、評価に値すると思う。でもなあ、「戦いを止めたい」と声高に唱え、双方の間を積極的に動き回り、かと思えば互いの誤解や偏見を解くために、言葉を尽くして説得する訳でもなく、言外の意図を他者に対して理解することを強要するジェラミーの言動は、依然として不可解に映るんだよなあ。

 

両親を差別する程仲が悪い両種族の共存が如何に難しいかはジェラミーも分かっていただろうし、だからこそ「戦いを止めたいという当たり前の願いが叶わない絶望」を抱いたのだろうけど、だとしたら、そもそもそれを理想として掲げる事自体に消極的になる筈なんだよな。そんな現実をガン無視して理想を掲げると言うなら、「行間を読む」という回りくどい交流模様や、暴れる怪人に対する「お仕置き」を排し、腹を割って話し合い、説得に努めるだろうし、そういう姿勢が双方から疎まれようとも、非戦に徹する位の「狂気」めいたものを見せてくれないと、綺麗事で暴走するキャラクターとは思えないんだよな。

父母の事があるから両種族に仲良くしてもらいたいと思っているのかもしれないけど、これだってジェラミーからしたら、両種族共に愛する父母を追放した仇でしかない訳で、復讐として双方の情勢をかき乱し、全滅に向かわせる位のキャラクターの方が未だ理解出来るんだよな。デスナラクが親戚だか子孫だか知らないけど、仲良くしていた訳でもなく、両親を切捨てた者達と同じ思想の持主なら、猶更敵意の方が勝りそうだし、そんな奴でも助けたいというなら、それこそ武器を捨ててでも説得に走る類の人にしてもらわないと感情移入が出来ないというか。

「仲良くしたい!」と言いながら、自分に都合の悪い事を言うゲロウジームを狙撃しまくるのも怖いと言うか。何をすべきかで悩まない為に理想に逃避しているのかもしれないけど、そこに没入するどころか、逆行するだけというのがジェラミーという感じで、ゲロウジームのフォローで処理しきれない程の言行不一致を感じて仕方が無いよなあ。

 

で、結局「傷つけ、血に汚れる覚悟」を背負うということで、人間とバグナラクとの共存の為に、デスナラクを倒して王座を奪う路線に舵を切るようですが、結局それも自分と考え方が違う存在を排除しているだけの、選別や浄化の類なんだよな。あれだけ「共存ガー」とか「狭間の王ガー」とか言ってたのに、それでいいのかとも思っちゃう?

「555」の乾巧の「戦うことが罪なら俺が背負ってやる」って覚悟にも似てるように見えるけど、あっちは目の前の命を優先する為に、共存という大義から目を逸らす罪を敢えて背負う意志の表明でしかなく、実際啓太郎の行動から共存への希望が見えて喜んだ時は、草加から「矛盾しているんだよ」と責められている訳で。ジェラミーみたいに不穏分子を排除した先の「共存」というのを、大分皮肉ってるんだよな。

 

結局、ジェラミーはたかだか虫怪人一匹の説得の為に何千年?分の拘りと情やらをあっさりと捨て、意に反したものを斬る路線を選んだ訳だけど、そんなにあっさりスタンスを変えられても、それまで共存の理想を掲げていた理由が猶更分からなくなるし、なんで最初からそうしなかったの?という疑問しかないよ。

それこそ木場勇治みたいに、人間時代の幸福への未練から、同族間の閉じたコミュニティの中で「人間と怪人(自分達だけ)の共存」を願い、何か事が起きてようやく行動するけど、意に反する振る舞いで迎えられたら平然と「理想」を捨ててしまう弱さみたいなものがあれば理解できたのだけどね。偏執狂でも弱者でも英傑でもない、ただの記号だよな。

 

で、この説得の為にでっち上げられた似非侵略行為の為に駆り出されたサナギムが何体か死んでる訳で、これから王になろうとするアホとその家臣のアホのせいで、国民の命が犠牲になっているという惨事。これが「傷つけ、血に汚れる覚悟」なんですかねえ。

 

ゲロウジームも平然と受け入れられてるけど、こんな簡単に共闘出来るなら、両種族の溝なんてあって無いようなものとしか思えないんだよな。説得したのかもわからんけど、そんな描写も無いから余計に不自然なんだよな。

 

王様の身内ばかりが選ばれるコネ採用システム。とんとん拍子にパイロットが見つかって、なんかしょーもないなあ。

決死の戦いとか言われても、台詞だけでどう怖いのかがイマイチ伝わってこないというか。正直、超強いロボになるんだから、大丈夫じゃね?って気がしなくもない。

 

ギラに「覚悟」なんて言われてもなあ。他人の発言にへーこらするか、迷うかのどっちかなんだし。

側近Aは巻き込みたくないというのは良いとして、彼の説教一つで、子供を巻き込むことを是とするのも謎。「誰も犠牲にしないと誓う覚悟」っていうのもな。そんな大層な覚悟があるなら、「子供に甘えないで自分達だけでやれよ」としか思えないもん。向こうから申し出るならともかく、ギラからブンに同行を願い出る始末だし。ラクレス笑えないよ。

諦めを忘れされるっていうのも、実際は諦めざるを得ないようなリスクが山積していて、とてもじゃないけどどうにもならないのをガン無視しているだけの根性論にしか聞こえないんだよな。

こういう根性論や精神論は、それこそキャラやドラマを積み上げることでようやく重みが増す訳だけど、ギラが誰も犠牲にしない王様として戦い抜いたのかって話だよな。

前々回もヤンマから言われて、襲われる人々を助けに行かず城に残った訳で、ギラの甘さが貫徹されていれば、「綺麗事ばかり言う人間だからこそ唱えられる前向きな覚悟」ということで、百億歩譲って未だ観れたかもしれないのだけどなあ。側近Aの説教一つでギラの心が変わるのも安いし、上述のように誰かを危険に晒すしか能が無い癖に、「皆を守る」と主張だけはご立派に思えて、熱血のゴリ押しがキツイ。

 

結局、王様達は「覚悟」という言葉を盾に、弱さや甘えを肯定しているだけにしか見えないよなあ。芯の部分が見えないから、余計に都合よく聞こえてくるのだろうけど。