しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

王様戦隊キングオージャー 第24話

劇場版は未だ観てないっす。気持ちが傾かん。

良い話風。あくまで

「ベタ。でも良い。」を目指して頑張ってほしいです。

 

デスナラクの目的、コロコロ変ってる気がするのは俺だけ?

地球を破壊して人類完殺を目指している様だけど、シュゴッダムを乗っ取った時は、王としてじわじわ人間をお嬲りするとか言ってたような。戦隊に負け続けて方針転換したのだろうけど、長きに渡る恨みつらみを果たしたいって言ってる割には、憎い相手への復讐の内容が全然違うから、拘りが薄く思えちゃうんだよね。

その恨みつらみだって、台詞で色々言ってるだけで、実際彼が地中でどんな苦しみを味わってきたのか全然分からないから、感情移入が出来ないんだよな。花火やお祭りが出来なくて寂しいですってことなんだろうけど、それだって工夫次第にも思えてくるし、理不尽に虐げられた者の痛みを表現するには、描写の積み重ねが足りていない気がする。

 

ジェラミーの和平路線がひっさびさに復活したけど、もうその間に何体同族蹴散らしてるんだろうね。

この手の異種族間の共存云々だと、「仮面ライダー555」の巧や「仮面ライダーキバ」の渡も、怪人との共存を望みつつ襲い来る者は敵として倒していたけど、彼らの場合は怪人を説得困難な相手と最初から捉え、だからこそ共存だってそう簡単に叶うものではないという前提で行動していたから違和感は無かったのだけど、ジェラミーの場合は自分から「狭間の王」とかどや顔で主張し、中途半端に軽い声掛けをするだけで膝を突き合わせて話す覚悟や根気も伺えず、相手の反応が芳しくなかったら即攻撃するので、自分の夢に凄く前向きな割に、それと逆行する行動ばかり起こす人という負のイメージばかりが付きまとうんだよな。

 

後、自分が偏った内容の伝承を書いたせいでバグナラクが人間から悪者扱いされた云々っていうのも、思い込みが激しい気がするんだよな。だって、ジェラミーの母親は迫害された訳でしょ。だからジェラミーにも外界と自分を隔絶する仮面をつけた訳でしょ。要は人間がバグナラクを嫌っていたという過去があって、伝承の有無に関わらず、人間の敵として語り継がれていたと思うんだが。たまたま、それっぽい伝記をジェラミーが書いたことで、継承用の資料として多くの人達から参照されただけとしか。

つーか、そもそも偏向表現になっていること自体、書いている時に気づけなかったのか?口では行間がー偏見がーとか言って、そういうのにデリケートな癖して、実はすごく鈍感っていうのは、登場人物の意外性とか人間味とか言うよりも、単なるアフォとしか思えないんだよなあ。

デスナラクを「家族」として庇い出す所も、あれだけナメた態度でボコボコにしておいて今更何をって感じだし、人間側のアンチバグナラクの思想の継承云々の件も含めて、前後の描写が繋がっているように見えないんだよな。

 

5王国の王様達、改めてやる気無いよね。

王としての立場ガーとか責務ガーとか言ってるけど、椅子に座っているか、祭りを始めてで遊んでるか位で、熱さ対策してないじゃん。王ならまずは、真夏よりも暑い国の惨状に向き合うべきで、それもしないで王様かくあるべき論を展開してもバカっぽく映るだけだよ。

「サーバが壊れたどうにかしろ(技術先進国の王の台詞です)」とか、「都市と野菜を好感しろ」とか、ヤンマ達もギラにアホみたいな無茶ぶりをしているだけで、現実的な視点で、この熱さをどうするか、熱さで生じた損失をどう埋めるかについて検討したり発案したりする王様が一人もいないというのが哀しすぎる。

で、出た案が「祭りを催して民のストレスを吹き飛ばす」でしょ。馬鹿じゃないかなあ。死ぬほど暑くて大変ですって時に、外に出て遊ぼうって気が狂ってるのかと。

で、蓋を開けたら、熱さなんて関係なしにテンションアゲアゲで楽しんでいる国民を見ていると、デスナラクの作戦が実は物凄くショボかったのか、それとも道理が王様5人に忖度したのかどっちなんだと困惑する始末。

 

ギラの王様像って本当に分からないんだよね。

まず「ただの民から王様になった」ってのが大嘘だよね。ギラは王族出身でしょ。平民としての記憶しかなかったのも、ラクレスとの交流の断片を思い出したことで、少なからず王族としての実感も得た筈だから、こんな感覚で生きていることが信じられない。大体、裁判の後に国に帰ったら、国民総出で「王子様」呼ばわりで持ち上げられていた訳だしね。民がギラに不信感を抱いていたのは、王族の癖にテロ行為を働くキチガイだったからでしょ。民と王の隔たりとか、どっからそんな話が出てきたのか全く分からん。

ギラ自身、第2話でヤンマと下僕の関係を見て、「上下の壁なくぶつかる」ことの素晴らしさに感銘を受けていた訳だし、民と王とで隔たりが無ければ、王として成立しないって価値観が何故生じたのかが本当に謎なんだが。上でも書いたけど、前後の全然描写が繋がっていないよ。

 

「王様らしくする」=「邪悪の王として民を支配する」ってのも意味不明だよね。ブンを見下すような発言もそうだけど、ギラって優しいのではなくて、他人の気持ちが分からない人なんじゃないかって思うんだが。こんなことを言ったら相手は傷つくとか、委縮するとか思わないのだろうか。大森作品らしい主人公ではあるけどさ。

 

大体、ギラの言う「王様が皆を守って、皆は近しい人を守る云々」って理想(ラクレスの請け売り)の何処にも、王様は民から支持されないといけないって要素は見い出せない訳だからな。

ギラの王様像って、要は民の暮しや生活に寄り添う形で、彼らを守護することにその本質がある訳で、民から忠誠を頂くことを本懐としてはいない筈なんだよな。むしろ、訳の分からない邪悪の王ごっこを介して、権威と力で民の主体性ガン無視で洗脳しようとしている様にしか見えず、当初のスタンスと逆行しているようにしか見えないんだよな。民が幸せになるように戦っていれば良いわけで、王様らしさなんて言いながら威厳を示して相手の支持を取り付ける意味が何処にも無いんだが。

てか、前回の協力体制で、王様が民を守る→王様と民が一緒になって互いを守るみたいな話になったのだと思うんだけど、ギラ的には「王様と民は隔絶した存在だ」って認識を強めるに至ったというのが謎過ぎるんだよな。これ、劇場版観れば氷解する疑問なの?だとしたら死ぬほど不親切だけど。

 

序盤1クール目の展開をド忘れしたような場面が多いなあ。

派手な描写や展開が多いことから、「最終回みたいなノリの話が多い」的なことを言われているみたいですが、違う意味で「毎話が最終回みたい」と思う今日この頃。