しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

SSSS.GRIDMAN #11・#12(終)

 

 #11「決・戦」

#12(終)「覚・醒」

うーん、結局裕太も六花も内海もアカネの内面や価値観を小分けして人格として独立させた存在ってことで良いんだろうか。

 

裕太=グリッドマン→アカネの中の「善意」

六花→アカネにとっての「理想の自分」

内海→ヒーロー(善意)も怪獣(悪意)もどっちも肯定する「中途半端/逃避」

 

自分にとってストレス要因となる存在を何のためらいもなく壊すことを肯定したいアカネの弱さや悪意が形になった怪獣を、彼女に宿る良心や迷いが具現化した裕太達グリッドマン同盟が戦う構図として見れば、12話かけてアカネという個人の葛藤を延々と描いてきたということになります。

 

様々な悪意を抱いても結局善意がストッパーになり、最終的には矛盾でアカネ自身が壊れていくというのはわかりますし、だからこそアカネは裕太を自分の手で否定し、それと同時にアカネの世界が怪獣によって滅ぼされるという展開になる。

そして、今まで大ボケ全開で参戦してきた内海=中途半端が、裕太=善意が血を流すのを見て後悔と自責と無力に苛まれるのも確かに頷けます。

裕太も内海も六花も、一個の人間として見ると不自然な部分が目立ったのですが、一応アカネという人格を構成するパーツ以上でも以下でもないという点で見れば理屈としては通るのではないでしょうか(面白いかどうかは別ですが。)

だからこそ、アカネを救うにはグリッドマン同盟が一つにならなきゃいけないし、弱さも強さもひっくるめてアカネが自分と向き合う契機にならなければならない。

 

六花が理想像だと書いたのは、特定のグループの中での交流を中心に、周りともそれなりに折り合いをつけてやっていけるドライさと、困った誰かを積極的に助ける善意、そして、怪獣(悪意)やヒーロー(善意)といった葛藤の要因に対して距離をとる飄々とした一面が含まれた存在として描かれていたからであり、想像ゆえに一見相反する性質が平気で盛り込まれていたということでしょう。

 

善意そのものに対する悪意=アンチ君に、理想像たる六花が手を差し伸べたのは、理想の自分なら自分の弱さだって受け入れてくれるだろうという思いの表れかもしれません。

ただ、それを悪意のまま受け入れてもらうのでは、自分の悪意をそのまま肯定しきることになるので、六花はアンチが怪獣であることを知らない状態で彼を受け入れなければならないということでしょうか。

(アンチ君に関しては、彼だけが何故命を宿したのかが未だに分からないのですが)

 

見落としを拾い直す気力も熱意もないので、大分中途半端な考察紛いのまとめになってしまったことに加えて、アカネ以外のキャラクターが露骨に歯車同然の扱いになってしまった印象を否定できず、面白かったかどうかと聞かれると返答に困る作品です。

周りのリアクションを見てもヒロイン人気の高さがうかがえ、六花のキャラデザは自分としてもストライクだったのですが、それ故にもっと人間的に描いてほしかった(;^_^A