しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

地球戦隊ファイブマン 第43話、第44話

第43話「テレビの恋」

 

V ギャラクシーロボ(の箱)

毎日観ていたテレビが一つ目の怪人となり、熱光線を乱射しながらTVっ子をストーキングする一方で、(これまた絶妙に頭の悪そうな顔の)プテラノドンとTVの合体銀河闘士が表れて(つまり「テレビギン」ってのが居たってことだよね・・・)ファイブマンを追い詰めたりと、キ印みたいな絵面にキ印みたいな絵面を掛け合わせて、視聴者を幻惑させるのは流石の曽田センス(笑)

身の危険と肉体の疲労で困憊したTVっ子がTV女に従おうとするのを受けて「TVばかり見る子になるな、表で外で遊ぶんだ」と場違いな説教をかます文矢の台詞回しが強引だった以外は、TVっ子を助けるべく奮闘する子供達の友情劇で話がまとまり、狂った見てくれからまともな幕引きで落ち着く温度差がちょっと好き。

「TVは見過ぎないように」というメッセージは子供番組らしいのですが、この時期の戦隊シリーズの諸々の事情を考えると、「他のコンテンツにハマらないで、戦隊ものだけを観てください。」という哀願が垣間見えるような見えないようなという印象で、「私だけを見て!」と言いながら、逃げる少年に迫るメンヘラTVが、シリーズ存続の危機に立たされたスタッフの苦悶が投影されたキャラにも思えてくるようなこないような。(こねーよ)

 

 

第44話「死闘ロボ戦」

 

V デバスター?

第1話でガロア艦長が壊した学校の再建に合わせ、ガロア艦長が下克上を図るという展開は素直に巧いと思います。再建した学び舎で恩師を待望するかつての教え子と、彼らの成長した姿を想像しながら、その未来を守る為に戦士としての闘士を新たにし、南極から一気に逆転してみせた兄弟先生の切実な胸中を描くというのも、実にニクイと思います。

とは言ったものの、ついぞ前回まで、訳の分からないパソコン通信でいつでもどこでもお悩み相談かけつけますと、ウーバーティーと言わんばかりに教師の出張サービスに邁進してきた五兄弟のあり方(この辺殆どメインライターのホン!)を考えると、戦士としての宿命によって、本来の教師としての生き方と切り離されてしまった五人と教え子達の心の機微を十分に描けていたかと言うとそうとは思えず、そういった「土台」が十分ではない状態で、中々に重みのあるドラマを展開しようとするので、支えきれずいくつか罅が入って、なんというか、非常に惜しい。

戦隊ヒーローと学校の教師の両立を描くのは難しいけど、教師戦隊としての側面も見せたい(なきゃいけない)ので、ゲストの子供達相手に教師として振舞わせるというのが、良くも悪くも都合の良い方便として機能してしまい、本来なら戦隊の戦いが終わり、普通の人間としての日常に帰る日が近づいてきたことを象徴するはずだった「学校再建」という一大イベントが、今一つ迫力を伴わないというのは、いよいよツケが回ってきたという感じ。

 

V 「伝説」はかくようにして誕生した

にしてもこの五兄弟、本当にマックスマグマを使いませんよね。

デバスターもどきにスーパーファイブロボが追い詰められるのはともかくとして、「引き返してマックスマグマで戦う」とか、そういう発想は無かったのでしょうか。

敵にとどめを刺したのは基地モードのマグマベースでしたが、結局等身大の戦士の必殺武器でコクピットを狙撃して弱体化させるという演出のインパクトの方が強く、どうにもパッとしない印象です。