しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

王様戦隊キングオージャー 第19話

「キンオー」の夏映画、観たいんだけど観たくないって感じ。

お金がなあ、もったいないんだよお。

 

シュゴッダムを乗っ取り、暴れ狂うバグナラクから民を守るぞと、「ぼくがかんがえるかっこいいおうさま」ごっこに忙しいギラ君(無職)。

でもなあ、カメジムから「王冠と守護神の加護を失った虫けら」としてラクレスが見下されているのを見るに、バグナラクがシュゴッダムへの侵攻を決断したきっかけは、カグラギがラクレスから王冠と槍をパクってギラに渡した事としか言いようが無いんだが。

勿論、あの場でラクレスの力を奪わなかったら、キンオーゼロに殺されていたのは確かなんだけど、こうやって粛清対象に挙がったのもギラ達が反抗的だったからだしな。ギラが反逆者(というか窃盗犯)になったのだって、最初の頃にヤンマがゴネたのが遠因になってる訳だし、「シュゴッダムは国としての体を成していない。」とか、どの口で言うんだ

 

コガネと再会したギラ。コガネ曰く「皆ギラを悪者扱いして」とのことですが、そりゃあ自分から悪役気取ってる訳だからな!

なんかもう、主人公マンセーに全振りしてるようなシナリオで、頭痛くなってくる。

 

サナギム達を殴る蹴るして、シュゴッダム民から称賛されるギラ。その後にンコソパの人達がサナギム達を拘束している映像が流れるので、パンピーでも対処可能なクソザコナメクジ相手にイキっただけで周囲からマンセーされるクッソ情けない主人公像が浮かび上がる地獄絵図。アイタタタ。

 

ヤンマとジェラミーを演じている役者さんはどんな気持ちなんだろうか。

今の彼らって、自分達の核となる信念や主義なんぞ何処吹く風で、私怨とも言えない下卑た感情をこれまた下品な振る舞いで以て発散している、至極気持ちの悪いキャラクターに成り下がっていると思うんだがなあ。

特定のキャラを馬鹿にして笑いを取らせようとする代わりに、貶める側のキャラが崩壊するというのは「キョウリュウジャー」の頃から見られる大森P担当作品の特徴の一つだと思いますが、10年経って更に磨かれている気がしますね。

 

これまでの行動はともかく、ヤンマが殺されそうになったのは確かだし、彼がそのことに対して怒りを覚えるのは分かる。でもそれを解消するのが、色々と脅した後でブーブークッションで加害者に恥をかかせる事というのが、くだらな過ぎて唖然とする。

相容れない政敵との応対に際して、くだらない悪戯を挿し込む位は気の良い兄ちゃんなんですということを表現したいのだろうけど、逆に言えば、こんなしょーもない悪戯で留飲を下げてしまう程の拘りしか持っていなかったということであり、ヤンマが抱いているラクレスへの反発心、天辺への執着の実態が、ますます分からなくなるんだよな。

特に、一連のラクレスの暴走の発端は、ヤンマを初め王様()達の身勝手な振る舞いにあるとしか言いようがなく、じゃあその身勝手に見える行動に納得できる理由が伺えるのかと言うとそんなことは無い状態なわけで。そのように、メインキャラの掘り下げが全く出来ていない状態で、言動に軽い印象を与えるような場面ばかりが追加されている状態で、登場人物の硬軟の表現と言うのが、ドン引きする位下手というのが率直な印象っす。

 

ジェラミーは、自分を騙したラクレスに恥をかかせる為に、母親の形見をブーブークッションに使用。挙句「御袋も許してくれる」とか宣う始末。許さないと思うよ。

自分の憂さ晴らしの為なら母親との思い出の品もぞんざいに扱うけど、他人がそれをしたらキレ散らかすというのも気持ち悪いですが、この期に及んでやることが程度の低い仕返しでしかなく、バカをやる→落ち込む→立ち直る→バカをやる→落ち込む→立ち直る→バカをやるの繰り返しが観ていて痛々しい。

まるで自分を被害者みたく扱うスタンスが、まがいなりにも前々回反省したとは思えないそれだし、自分の無思慮を棚に上げて他人を攻撃し、その上「和平」という自分の信念もかなぐり捨てて、ただ王様達に混ざって戦うだけという腑抜けっぷり。まあ、登場回が公式の神回()セレクションから外れる位の冷遇っぷりだし、スタッフも扱いに困ってるのかもしれないね。

 

ギラはギラで、ついこの間まで切り殺そうとしていた相手が目の前で斬首されそうになって、「やめろ」も糞も無いと思うんだが。記憶を取り戻して軟化したのか。その割には偉そうに説教を垂れて、必殺技ぶち込んでたけどな。

 

王様戦隊結成の件、前からある同盟とどう違うのか全然分からんぞ。

ネーミングも厨二臭いし、最早寒気しかないぞ。

 

ダイゴーグを圧倒するギラ。何もしないくせに、生れた時から特別な力があって、他人から貰った特殊装備でパワーアップして、相手を「雑魚」と罵って蹂躙するヒーロー。かっこ悪いなあやっぱり。

前作のタロウも似たようなものだと言う向きもあるだろうけど、彼の場合は「何もしなくても出来てしまう」ということが孤独や孤立に繋がり、自分自身のアイデンティティすら分からなくなってしまう苦しみが早い段階で強調されていたからこそ、彼の「神性」も内面の人間味に裏打ちされる形で逆に自然に映り、また彼の勝利や強さに説得力を抱かせたんだよな。

ギラの場合は、中途半端にイキり散らかすだけで、話の展開に合わせて空気と化し、これまた話の展開に合わせて唐突なパワーアップを図るだけで、中身というものが何も無いから一連の主人公補正が、もはやマンセーとか褒め殺しの領域に達している印象で、気持ちが悪くなるというか。