しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

王様戦隊キングオージャー 第17話

20数年ぶりにトンボットで遊びました。ロボットというよりはクリーチャーみたいな見た目が凄く良いと思います。BWあるあるですね。

 

「キンオー」はもうツッコミどころしかないです。ツッコミどころが沢山あったのは「ドンブラ」も同じでしたが、あっちと違って決めるべき所で大穴が待っている糞仕様なので、フラストレーションは段違いです。

 

ヤンマ「生きてるのがバレるだろ!」
ギラ「耐えられるか!ラクレスも雑魚共もまとめて潰す!」

これまで周りの言うことに従って何もしなかった主人公が、話の都合で急に主体性に目覚めたようにしか見えないお粗末さが悲惨です。コガネとすれ違ったことで故郷への想いが再燃したと見ても、そこからラクレスを葬るべく一人行動を起こした形跡も無いですし、他者の傀儡と我侭小僧を行ったり来たりしてるだけの不安定さに困惑します。

 

ジェラミー「全てを統べる王を語れるのは俺だけだ。」

前回、和平交渉の「機会」だけ用意して、その場には一切立ち会わなかったのではないかという不名誉な疑惑が浮上したジェラミーですが、「不可侵を求めたのはシュゴッダムとその属国のみ」「歴戦の猛者を蘇らせる技術をバグナラクに提供」という取り決めに対して愕然としていた辺り、ホンキのホントで何も聞いていなかったようです。

「全てを統べる」と言いながら、肝心の部分は当事者間に丸投げするスタンスも中々キていますが、そもそもが彼の目から見て丸投げするに値するような連中だと思えない所が、輪をかけて酷い所だと思います。

少なくとも、ラクレスは「目的の為なら他人の家族を人質に取る男」で、デスナラクについては「ボコボコにされても何度も攻め入ってきた男」として映っている筈で、「家族」との絆を尊び、また平和を望むジェラミーが、この二人を信じ、もうすぐ平和が来るぞと喜び勇んでいたとしか思えない奇態を晒していたのは、底抜けのアホというよりは、知性と感情の一切が欠落した何かという印象しか抱けません。

前作のジロウのような、人間性に著しく欠けたマイペースマンというよりは、ただただネジが外れただけの機械としか受け止められないのは、造形としては致命的だと思います。

リタの説教を食らった後も、「人の言うことばかり聞いて右往左往していた」とか言い出し、挙句の果てには「主人公の座は譲らない」とかドヤり出したりと、全く反省の意思が見えないのがヤバいですね。主体性の有無とか以前の問題だと思うのですが。

 

「これからは一ミスも許されない!」と、いきなりインテリみたいな事を言い出すヤンマですが、やってること全部ミスの嵐だと思うんですけどね。これまでが運良く何とかなってただけで。

8話の作戦のフォローなのか、どっちつかずだからこそカグラギを信用しているといった苦しすぎる発言が飛び出すのも唖然とさせます。前にも書きましたが、そういうのはカグラギのスタンスを把握した上で成立する話な訳で、妹が居ることもロクに知らなかった彼らが、二枚舌の本心に何処まで肉迫できていたのか甚だ怪しいとしか思えません。
ジェラミーの両親の形見でブーブークッションを拵えた辺り、人の心の細かい部分を察することができる人間とは思えませんし、本当に思い付きでそれっぽい台詞を言わされているだけなんだなあとしか思えないのはアカンと思います。

ドキュソのふりをしたインテリキャラのふりをしたドキュソ。それがヤンマ君。

 

ジェラミーの語りでそこそこ期待感を膨らませて復活したダイゴーグ(ここは語り部設定を生かしていて良かった)だけど、鳴り物入りで登場した割には、面白くもなんともない長台詞を吐いて、強いのか弱いのかもわからないヤンマとジェラミーと凹すだけなので、実物のショボさが悪目立ちしてしまうままならなさ。着ぐるみキャラ故の表現の難しさもあるのでしょうけど、敵キャラから生じる薄ら寒さは「リュウソウジャー」に匹敵するものがあるよなあ。それこそ全く喋らせないで暴力だけ奮って追い詰めるなんてキャラのがマシな気もするよなと。

前作だとムラサメがこの時期に出てきたけど、下手な前振りも無い代わりに、短くも印象的な台詞回し、主人公に酷似したシルエット、強い主人公と互角に渡り合う強さを発揮して、しっかりキャラの凄味を出していた訳だしなあ。ホント、押さえて欲しい所はとことんスルーするんだよな。

 

ヤンマの行動って、結局第10話の一人で戦う作戦と大して変わらないと思うんだよな。口では「勝つ為だ」と前向きだったけど、実際は多勢に無勢で、だからこそ国民を逃がした訳でしょ。自分を犠牲にして国民を守る時間稼ぎをするあり方は、以前シオカラが批判した、自分の事よりも王としての使命を優先するスタンスをそのまま継続しているようにしか見えないし、そんな仲間の言葉を受けたヤンマの「変化」が口だけというのが、何とも言えない虚しさを抱かせますね。口では「仲間」想いを表明するヤンマですが、それもただ自分がカッコつける為の踏み台でしかないのでは、という疑惑を更に強固にさせる描写だったなあというのが本音。

 

ヤンマを救ったギラ。満を持しての主人公登場で、テレビ中継で故郷の皆にも生存を知らせるという、美味しすぎる筈のシーンなのに、シナリオの文脈が成立していないのがマジで哀しい。決闘で負けてから9話ほど、アンチラクレスを唱えたり唱えなかったりで、ただ周りの言うことに従って何もしないスタンスに甘んじていただけだもん。

こういう、問題と全く関わってこなかった主人公が、万事休すと言う所で事態を急変させるべく行動を起こす的なシチュエーションで思い出すのが、「ワンピース」のアーロン編のルフィなんだよな。今のナミを仲間として受け入れる一方で、その過去については興味が無かったからこそ、彼女の義母を殺めたアーロンに対しての怒りを覚えず、ずっと何もしてこなかった彼が、ナミ本人から助けを求められたことで、仲間を追い詰めるアーロンへの怒りを覚え、流れるようにアーロンパークを襲撃する件は、今思い出しても良く出来てたと思うけど、それは主人公の内面に変化をもたらす何かがあって、同時に主人公自身がこれまでの積み重ねで、それ相応の強さを見せつけてきたからこそ成り立つ展開な訳だよな。

しかるにギラの場合は、ラクレスに負けて以降は自分から行動を起こすことも無く周囲の人々の意のままに行動し、合間合間でラクレス打倒に向けた鍛錬を積んでいた描写も無く、それでいて「俺はラクレスを信用しない!」と、アンチスタンスを声高に表明するもんだから、何がしたいのか分からないんだよな。演出でそれっぽく強調してるけど、実際は話の都合で弱っちい主人公が前面に駆り出されただけの情けない場面としか。

 

「鍛錬」で思い出したけど、「ドンブラ」はあれでヒーローも敵も努力をしている描写はちゃんと挟まってたんだよな。タロウがそういう過程を必要としない存在だからこその対比の意味もあったのだろうけど、暴行特訓と各々の自主的(強制的なのもあったけど)なトレ―ニングの場面を挿入していたのは、なんだかんだで子供向け番組として見習うべきだと思うんだよね。少なくとも、バカみたいに他所の国の王様に喧嘩を売ったり、邪悪の王を気取ってイキり散らかすヒーローばかり描くよりはマシかなと思います。