しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

水星の魔女を観た⑦

第12話。第1部の最終回です。最終回と言っても、メリハリに欠けるクッソダサいMS同士の単調な戦闘と、脳みそ3グラムのクルパー登場人物のアホアホ掛け合いがいつもの通り展開されるだけで、至って普通の水星ちゃんでした。

これ、第2部も観なきゃダメかなあ?

 

グエルが馬鹿なのは知ってたけど、パパも相当なバカだなあ。一応要人であるグエルパパが、さしたる理由も無いのに前線に出るのもアホ過ぎると思うんだけど。「俺はライバルの頭をとってきたんだー」とか言われても知らねえしね。こういうすれ違い劇をやしたいなら、もっとグエルパパの過去や人となりについて積み重ねないとダメだと思うんですが。

グエルもスレッタが心配で出てきたとはいえ、態々MSに乗り込んで戦場に飛び出したら普通的になるに決まってるのにね。何がしたいのか本当に分からない。

てか、よくよく考えなくても、この人別にスレッタにちょっと優しい言葉をかけられただけで、別段そこから絆を深めた訳でも何でもないからなあ。必死こいて助けたいと思える相手でもない気もする。

 

ミオリネパパとミオリネママの過去なんて知らねえ!ということで、パパとミオリネの確執は、掘り下げる前にあっさり解消されちゃったようです。娘をトロフィーにしていた件については触れられずじまいですが、引っ張った所で面白くなり得るとは思えないし、仕方がないかもね。

 

スレッタはなあ。ちょっと前までマザーの人殺しにビビりまくってたと思ったら、ミオリネを救うためのテロリスト惨殺の後は余裕で笑顔を浮かべちゃうし、マザーの言葉を聞いて前向きになったからといって、気持ちの切り替わり方が相変わらずキモいんだよなあ。てか、そんなに人殺しに嫌悪感を抱いてたのなら、猶更家族であるエアリアルの技術が兵器として売買される案にもっと反発したって良かったと思うんだがなあ。スレッタがキチガイであるというのが仕様だとしても、キチガイなりの筋を通さないだけ、話の都合でキャラが変わり過ぎという印象は拭えないわ。

 

ミオリネもなあ。自分が助けようとした父親を殺そうとしたテロリストから自分達を守ってくれたスレッタに対して「人殺し」ってドン引きするの、実に水虫脳なんだよなあ。

相手のリアクションがキチガイ染みてるといっても、まずは自分が助かったことに安堵した上で、スレッタを心配するのが普通だと思うんだけど。自分の為に戦ってくれるスレッタの強さの部分に惹かれたなら、彼女がどんな人格でもある程度は許せるだろうし、逆に内面も含めて好きって言うなら、様子のおかしさに戸惑いながらも、気遣いを見せるというのが自然だと思うんだが。これが初対面とかならまだ分かるけど、前回のあの百合ムーブを受けてのコレだしなあ。てか、人殺しにそこまで嫌悪感を抱くなら、エアリアルを兵器として売り出そうとしていた件はなんだったんだよって話だよね。やっぱり展開の好き嫌い抜きにして、話の都合でそういうリアクションをとってるだけだよね。

 

なんかこう、分割2クールという短い尺の中で登場人物をやたらめったら出すだけだして、愛着や魅力を引き出す前にあっさり次のフェーズに移行して、見てくれのインパクト重視の展開で次に続きますって展開が多すぎるんだよな。別にインパクト重視の展開だっていいと思うんだけど、それをするのだって下準備が要る訳で、即席で出来ることなんて一つもないはずなんだがなあ。

結局、百合もやりたいロボ戦もやりたい政治劇もやりたい企業ドラマもやりたいすれ違い群像劇もやりたいと、あれよあれよと要素を投入した挙句、当然のように浅くて薄いダメの見本市みたいな作品になった気がするけど、やっぱり普通は何をするかをちゃんと固めた上で創作はやるべきですね。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン43話

ドン43話「ときかけなぞかけ」

 

椎名ナオキの正体は未来(別時空)のはるかでしたということですが、
「色々分かってスッキリ!」と言うより、「また謎が増えた・・。」という混迷極まる状況に。井上脚本なのである程度のテキトー展開はしゃーないにしても、ちょっと整理が追い付かんよ。

 

とりあえず、これまでの話の流れも踏まえつつ、椎名ナオキこと未来はるかの行動を追っていくと・・・

 

・戦いに疲れ、溜めたポイントで過去に飛んで休暇(創作活動)を始める

・過去でPNで「失恋ナイト」(同人活動)を描くが、時空が混乱したことでもう一人のはるか(今はるか)が存在することを知る

・自分の漫画を完成させる為に、今はるかの「初恋ヒーロー」を盗作呼ばわりする

・未来はるか、「真・初恋ヒーロー」で華やかに商業漫画家としてデビュー。

(・今はるかがポイントでオニシスターを辞め漫画家としてデビューし直すが、この時未来はるかがどうなっているかは言及されず)

・「真・初恋ヒーロー」映画化の試写会で、今はるかの怪演を観て喜ぶ

・今はるかと対面し、漫画対決をして完勝

・獣人の森から犬塚を助けるが、今はるかと顔見知りの筈の夏美は助けず(時間が無かった?)

・今はるかに正体を知られ、描き残した最後の一コマを今はるかに託して未来に帰還。

 

と言う感じか。微妙に腑に落ちない点もあるけど。

 

闘いに疲れた体を癒す為の休暇というのは分かるのですが、何故過去に飛ぶ必要があったのでしょう。漫画なら未来でも描けると思うのですが。過去に戻った場合、元々の過去のはるかの自我はどうなってしまうのか全く分からないし、はるかじゃないけど「何故が一杯」。

過去に戻ったのは、全盛期の創作能力を駆使して、描きたかった作品を今度こそ完成させたかったというのがあるのでしょうか。ソノザの指導やバイトをする時間などがあるのを見ると、ドンブラザーズの戦いで忙しくて完成させられなかったと言う程常に闘いという感じでもないと思いますし、二足のわらじは不可能ではないと思うのですが、やはり未来はるかも、力を得た代償として盗作騒動に巻き込まれたのでしょうか。仮にそうだとしても、過去に飛んでもどの道盗作騒動に巻き込まれて作家生命を断たれる訳でしょ。そこはポイントパワーで何とか辻褄合わせをしたということなのか?

 

PNで同人活動を始めていたのは何故だろう。そのまま編集に持ち込めばよかったと思うんだけど。確か今はるかは本名で商業漫画家として活動していたんだよね。もう一人のはるかの存在を知って、未来はるかが先に同人活動としてPNで同じ内容の漫画を描いてはるかを盗作犯扱いにしたならまだ分かるけど、活動後に今はるかの存在を知った訳でしょ。なんか因果関係が成り立っていないような。
てか、自分の夢を満たすために今はるかの前途を断つような真似をするのはどうなんだろう。同一人物とはいえ別時空の存在な訳だから、もう別人って言われても仕方ないと思うんだけどなあ。

 

今回未来はるかがタロウに対してやたら恨み言を述べていた辺り、未来はるかは自らを律する支えを失っている状態なのかしら。
元々真理菜の為に漫画の道を捨てて、ヒーローとして生きることを決意したはるかが、破天荒ながらも有能且つヒーローとしてブレないタロウの為に自分を犠牲にしようとしていたのを見るに、限界寸前の自分のメンタルを、タロウと共に戦うことでなんとか維持しようとしていたようにも見えたんだけど、なんらかの理由で未来タロウが自分を裏切るようなことをして、はるかの中のエゴの部分が大きくなったってことなのかな。最も、潰えかけつつもわずかに存在する自分の誇りを、せめて漫画の中では活かしてあげたいという気持ちもあって、そういう葛藤からタイムスリップしてきた可能性はあるんだよな。

 

猿原が金アレルギーを克服した理由は分からないけど、他人の邪悪な欲望に対して理解を示したってことなのかなあ。未来はるかが今はるかにやってることはヒトツ鬼となんら変わらないと思うんだけど、一緒に戦ってきたはるかの葛藤と悲しみを目の当たりにして、人間の持つ邪な心に対しても受け入れる気持ちを抱いたということなのだろうか。夢を持つ必要が無いという点では、空想の世界で生きることが出来る猿原も同じだけど、空想をするということはそれ相応に対象を欲しているからだし、そういう凡人寄りの感性からはるかの気持ちに段々寄り添い、はるかもまた変人ながらも、一部ではタロウに近い猿原の存在を受けて恋人関係を続けているのかなあ。

 

猿原曰く「夢を持つほど不幸ではない。だから幸せも分からない。」ということで、タロウは完璧故に変化する必要も無いから、何かを成し遂げる為に執着する常人の心に寄り添えないと。

友達が欲しいというのも、皆が持っているから欲しいってことだろうし、サンタさんとか結果的に遊んで楽しかった相手とまた遊びたいと思っても、それは誰でも良いから友達を作ろうという気持ちには結びつかず、相応しい友を求める機会にも恵まれなかったんだろうな。他人から嫌われたり、肩を並べるに相応しい相手とも出会えないタロウだからこそ、「縁」というどこか余所余所しい距離感で人との関係を繋ぎとめるにとどまっていて、一方で欲しい物を見出せない欠落に自覚的だからこそ、他者との絆に人一番敏感で、態々「縁」を語り、その結びつきの輪の中にいずれ自分が欲する何かが現れることを望んでいるのかもしれない。縁が出来たから幸福を運ぶのではなく、幸福を運ばれることを期待して、その縁を繋ぎとめようとする。丁度自分がサンタさんから幸福を運ばれたことが嬉しかったように、相手だって自分を好いてくれる筈だという狙いがどこかにあるのかもしれない。

 

とにもかくにも、カオス極まりない作風は今年も(てか後2か月弱)続きそうですが、とりあえず事の成り行きを見守っていきたいです。

 

水星の魔女を観た⑥

機動戦士ガンダム 水星の魔女」の第9話と10話と11話を観た。政治劇も経済ドラマも恋も友情も、どれもこれもダメダメで何を愉しめばいいのかまたーく分からない。同時期の「アキバ冥途戦争」なんてオンエアを全裸待機(※)で臨んで最後まで楽しく視聴できたけど、やっぱり作品が「何を描くか」について地に足の着いたマインドで向き合っているかいないかなんだろうな。色々間違えてる気がするんだけど。

※丁度風呂上がりの時間に放送していたので、あながち比喩って訳でもなかったり。

 

ええと、ミオリネは一体何がしたいんでしょーか。「御三家を全部潰したMSとパイロットがいる」ことを宣伝するとか言って決闘の模様を動画で公開してたけど、お前らガンダムを「医療技術」として売り出すつもりじゃなかったのか?確かにMS戦の勝ち負けだけをアピールするつもりなら、戦闘形式とはいえ技術力を分かりやすく伝える効果もあるのだろうけど、操縦者の有能さまで宣伝しようとする意図が全く分からん。医療器具なんてそれこそ心身にハンデを抱えた人達が使う物なのに、使用者のスキルの高さを誇りながら「ウチの技術凄いでしょ」とかドヤる訳でしょ。爪先だけじゃなくて脳みそまで水虫じゃなきゃ出来ない発想じゃないかなあ。

シャディクもスレッタに「ミオリネに頼ってるだけ」と見透かしたようなことを言う癖して、実際はミオリネがスレッタの機体と操縦技術におんぶにだっこしてるだけだしな。スレッタとミオリネって成り行きでコンビ組んでるだけで、「こういう関係!」ってしっかり打ち出せるほどの明確なものを築いている訳じゃないし、なーに言ってんだかって。

 

話の都合で恋愛脳にされたグエルや、知らない内に突然モテモテエピソードが付与されたピザ子(名前分んねえ・・・)もそうだけど、この番組は本当に降ってわいた恋愛要素が大好きなようで、シャディクがミオリネにそういう感情を抱いていたりなんて今回いきなり語られても、こっちとしてはなんら感情移入不可能なんだよなあ。登場人物はやたらめったら多いけど、群像劇としては下の下というか。富野アニメみたいに短い時間の中でキャラが忙しなく自己主張する作劇にしろとは言わないけど(あれも大抵落ち着きが無くて個人的にはイマイチなんだけど)、もうちょっと尺を大事に使わんとあかんって。

 

第10話からはいよいよ狂気の沙汰。

上述のようにミオリネとスレッタの関係なんぞ極薄も良い所なのに、スレッタがミオリネの婿としてのアイデンティティを強固に抱いているなんて、信じろってのが無理で、出来の悪いレズ描写に頭がくらくら。スレッタがミオリネに拾われているというよりは、ミオリネが学園の変な校則から身を守り会社も発展させる為に、スレッタの腕とガンダムの技術を利用している状態で、その上大した積み重ねも無いのにミオリネに捨てられて哀しいスレッタを演出するのは無理がありすぎるんだよな。スレッタの過度に内向的な性格についても、起因する彼女の過去も何も分からないだけに、その気持ちに寄り添ってドラマを楽しむことが全くできないし。

台詞回しもキチガイの極みで、ガンダムのテスターがスレッタだけという人材不足っぷりを解消する為にエランを雇ったと言いながら、「私居なくても良いってことですか」と聞いたスレッタに「そうね」と返すミオリネが相変わらず水虫脳。じゃあエランを雇う意味も無いじゃん。スレッタもヘンな質問するなよってことで、アホみたいな流れでスレッタがメンヘラ発動させかけるのが本当にまぬけ。こんなのシナリオ会議通らないと思うんだけどなあ。

 

その後も、出来の悪いすれ違い劇を見せられ、挙句メンヘラ同士のやっすい会話を聞かされるだけで全然おもんないです。スレッタのおかげでミオリネが地球に逃げずに済んだことで何を得たのかも今一つピンと来ないし、いきなりベタベタされても困るっす。むしろ地球って荒れてるんでしょ?そこに飛び込むことの方が勇気が居そうだし、今の彼女は親が出してくれたお金で会社ごっこをしてるだけで、何も勝ち取っちゃいない訳だしなあ。

 

次回で第1部完らしいけど、誰が何をしようともはやどうにもならんのだろうなあ。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン42話

ドン42話「ドンびきかぞく」

 

良くも悪くも、戦隊ヒーローは町の自警団的活動のおまけと言わんばかりの内容。

てか、詐欺師のヒトツ鬼化なんかもろヒーロー側に原因ありみたいな流れなので、ホントにヒーローの戦闘がついでレベル。

 

猿原はちゃんと町の相談役をやっていました。

ドンブラザーズの中ではあまりぱっとしないけど、なんだかんだで地域の中では頼れる人なんだというのを改めて描いてくれたのは嬉しいというかほっとした所。女の尻ばかり追いかけるエロ猿みたいな扱いで終わったら嫌すぎるからね。

 

仲間外れにされてちょっと寂しかったらしいタロウ。前回に続いて可愛らしさを見せます。まあ実際は、ドンとお供という上下関係からツンツンしているだけで、普段は人懐っこい印象なので、1話から3話位までの愛くるしさをここ最近また見せてきた印象です。

それにしても、つけるつけないは置いておくとして、「美しい嘘」はタロウの中にしっかり定着している様子。ソノイの貢献度大だね。

 

タロウに何も言わなかったことを詫びつつ、寂しげなタロウの表情を覗き込みたい心理を見せるはるか。カブトムシの寿命や街中のサンタについてなど、タロウの非常識を埋める役割は殆どはるかが担っている印象ですが、精神的な支えとしてタロウを認識する一方で、タロウの純粋さから来る欠落と可愛げのようなものを愛でることで、自分が支える存在が如何に清らかなのかというのを実感したいというのはあるのかも。

 

みほちゃんと通話する雉野をやべー奴認定する詐欺師。詐欺師にとっては「雉野の死んだ娘」という認識だから、みほちゃんと通話する彼の行動を「異常な振る舞い」だと勘違いしてしまうんだけど、人形を奥さんだと思い込んで話しかけている普段の雉野の積み重ねから、詐欺師が抱いた雉野への印象自体は間違っていないという状況が成立するのが、「嘘」をキーワードにした本作らしい描写で地味に好きなポイント。

 

犬塚は家族のぬくもりに触れて嬉しそう。お父さんが逃亡者で、今でも指名手配犯として逃亡中の身で、結婚を誓った愛する者の温もりとも縁遠いとなっては、一時だけでも仮初とはいえ家庭の団欒に心を癒すことが出来たのは救いであり、夏美救出の動機付けを強める出来事にもなったのかな。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン41話

ドン41話「サンタくろうする」

 

何かの本で大魔神カノン」の高寺氏が、井上白倉作品について「あんな内容だと子供が人間不信になりそう」みたいな趣旨の批評を展開していた覚えがあるのだけど、なるほど確かに気の狂ったキャラばかり見ていたら、未就学児にとって日本はヨハネスブルグと大して変わらなく映るのだろうけど、一方で今回の様に生きる上での「厳しさ」を説きつつ、子供の抱く「夢」を極力大事にしようと心がけるスタンスは、子供番組の作り手として素直にリスペクトすべき性質であると思います。

そういえば、「ガメラ」は結局どうなったん?

 

サンタさんが立派な前科持ちの不審者で、今では他人の家にゴミを送る変態という酷いキャラメイクは井上さんらしいひねくれ方ですが、彼が子供の頃のタロウに「幸福」を与えていたというエピソードを挟んだことで、なんだかんだでヒーローから敬意を集める凄い人としての立ち位置を堅持していたのは良心的だと思います。

友人がいないタロウにとって、一緒にゲームをして遊んでくれたただ一人の人間(?)ということで、タロウが「何故配達員として幸せを運ぶ」のかという根幹の部分に想いを巡らせる流れも好きなのですが、過去の栄光による激励だけではなく、今のままでは「不幸」しか待っていないという、現実の厳しさを突き付けて、サンタを立ち直らせようとする様も良かったと思います。けして甘やかさないタロウらしいやり方であり、視聴者にとっても誠意だったんじゃないかと思います。

 

ソノイはサンタに弟子入り。ヒトツ鬼相手に弟子入りというのは流石に苦しい気もするものの、自分たちの信念や考えよりも、サンタとしての責務を果たすことを優先したのかしら。欲望に溺れることを嫌うソノイ達らしい判断なのかもしれませんが。まあ、おでん屋のことである程度態度が軟化しているというのもあるのかな。

 

ゲストの子供はあくまでもサンタに対しては「厳しさ」として用意された役どころというか、ちょっと消化不良気味な扱い。脳人のおかげで彼女達の問題は解決したとはいえ、流れとしてはちょい歪かなあ。脳人の貢献ノルマの為だからしゃあないんだろうけど。

 

サンタ説得のためとはいえ、平然とヒトツ鬼の前に子供を連れてくるはるか達は、ドン5話の人質騒動を思わせます。自分達で護るってことなんだろうけど、自分の思い付きに溺れて他人を振り回す癖は直っていない感じ(笑)

 

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン40話

ドン40話「キケンなあいのり」

 

「アギト」や「キバ」のみならず、「海の底のピアノ(※)」でも見たような場面が目白押し。同じライターが書いてるんだからそうなるんだろうけど、前に使ったネタを平然と使いまわすのはやっぱり井上家のお家芸なんだろうなあ。ドン4話の犬塚の台詞だって「913」に出てきた弁護士のそれまんまだったし、いつの時代だろうと井上敏樹井上敏樹なのです。

 

人の良さが光る犬塚。恋人の夏美は勿論、自分を追い回していた刑事まで救おうとするのは、「縁」を押す本作らしさも感じさせます。(殺しちゃったみたいだけど・・・。)

夏美に惚れた理由については、あくまでも「理由はない」とのこと。最初は舞台で演じていた彼女の格好良さに「好意」を抱いたようだけど、そこから彼女のことを徐々に知って行き、いつの間にか彼女自体をそのまま好きになった感じかな。ソノニもただ女優としての夏美がキレイだったからという理由だけじゃ、犬塚が存在しない夏美との絆を信じて生きていける説明がつかないので「何故好きになったのか」と態々聞いた訳で、その人の特定のイメージに寄りかかるのではなく、ただその人自身が好きだという「理由のない愛」が、不条理故に得体のしれない底力として伝わったのかなと。

ただ、ソノニ自身はそんなスゴイ愛がどうして存在するのか、どんな風にそんな気持ちが生まれていくのかについては理解できていないと思うけど。少なくとも、今の彼女は犬塚の抱く「愛」が持つ凄味の正体を確かめようと、興味を強めている様子というか。

 

じゃあソノニが犬塚のことを好いていないかと言ったら違うと思っていて、ムラサメという強敵に襲われて自らも命が危ないという時に、共に逃げる選択肢を選んでくれた翼の良心にはそれ相応に響くものを感じたのだろうなあと思う所。じゃなきゃ翼に対して偽りの夏美救出方法(=夏美SATSUGAI方法)なんて伝えない訳だしね。ソノニとしてはかつて翼が舞台の上の夏美に対して好意を抱いたように、逃走の中で生じた翼への「理由のある好意」が「理由のない愛」に変わる過程を確認したいから、その為に「当事者」になりたいんだけど、その席は夏美が独占してるから邪魔だって話だよね。翼はソノニが自分を庇ってくれたことから、彼女が自分を貶めるとまでは思っていない様子なだけ質が悪いなあ。

 

しかし彼女の行動を見ると、脳人ってやっぱり極端な性格の持ち主ばかりで危ないなあと思う所。ソノイも今じゃギャグキャラムーブが目立つけど、やっぱりヒトツ鬼は人間事処刑の考え方は基本変わらないし、同族のソノシを一度殺しかけたりと、ストッパーは芽生えてはいるけど、ひとたび障害となったら、相手をゴミとしてしか認識できない冷酷さを持っているというか、結局そこは悪役なんだなと。じゃあヒーロー側のタロウやジロウはどうかというと、ジロウはあの処刑宣言があったし、タロウは「ダメなヤツなどいない」という考え方はそれ自体が極端と言っても良いわけだし。

 

そう考えると、魔進鬼の中の人を抹殺し、犬塚を警察に売った雉野はある意味で脳人らしいというか。有能であってもけしてその心が清らかかどうかは分からないということで、人間臭さだってあるんじゃないのというか。

 

今回はるかとムラサメの一騎打ちが展開されましたが、やっぱり彼女も獣人なのかなあ。演じるとかアバターとか嘘とか本物とか、それっぽい要素はモリモリ含まれている本作なだけに、(最近影薄いけど)主役級の彼女の扱いもかなり気になってきています。

 

※「自動車教習」と「一時的な視力の低下」ネタが最高に嫌な形で使われてるので、一読推奨しときます。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン39話

ドン39話「たなからボタンぽち」

 

ドンキラーとドンキラーキラーはもう出ないんだろうなあ

強敵っぽい何かで、1話まるごと引っ張ったショーもない回ではありますが、細かい見所はあったのが救い。

 

タロウ「もっと面白い物を描いてから死ね。」

これは格好良かった。嘘をついたら死ぬだけに、勝つ手段が無いから覚悟を決めろとしか言いようが無いけど、めっぽう強いキラーに対してやるだけの抵抗はやるし、お供を死なせたくないタロウなりの優しさも感じられました。マスターのからし投入と同じく「ささやかな抵抗」ではあるけど、その抵抗には確かに当人の意地が込められている。この展開を後に挟んだことで、あのバカギャグに相応の重みが出てきてしまうと言うのもズルい。

 

キラーと一生懸命戦う一方で、あくまでもソノイの参戦を拒む所も印象的。確かに相手は共闘して勝てるかどうかも分からないレベルで強いし、最悪巻き添えにしてしまうかもしれない。ソノイとの関係は、ヒトツ鬼を巡る戦いにおける「宿敵」ではあるけど、それ以外の局面では相応に通じあえる仲でもあるからこそ、ヒトツ鬼の介入しない身内の戦いで命を落として平気で要られる程、縁遠い相手ではないということなのでしょう。とげとげしく余所余所しい台詞の裏に、苦悩が垣間見えます。

 

雉野は持ち前の図々しさを発揮し、なんだかんだ最後まで諦めず。猿原の様に運命に流されて死ぬスタイルではなく、あくまでも生きることに執念を燃やしています。みほが居なくなっても自害することもなく、人形で精神を安定させていた辺り、非現実の中で自分を騙すことが出来るタイプなのでしょう。キラーに負けたのにあくまでも「ヒーロー」として自分を鼓舞し、強いキジブラザー像を堅持する様は、逞しさすら感じさせます。

「平凡」故に簡単に死を受け入れることなんて出来ないし、恐怖や不安を紛らわすために妄想の世界に閉じこもる。「超人」のあり方としては情けないのかもしれないけど、一方で自分の人生を最後まで投げ出さないという、情けなくて弱い人間なりの執念であり誓いであり、ここ最近、気持ちの悪さばかりが目立っていた筈の雉野つよしが、何だか凄くかっこいいぞ。

なるほど「想像力は時として、現実と同等の力を持つ」というのは、たとえ縋るモノが嘘であっても、それがその人の心や人生を支えるという一点では、現実となんら変わらないのではないかということで、猿原イズムが他人の手で実践されていますが、どうする猿原?ナルシズムに浸ってる場合じゃないぞ。

 

ジロウの正体については、もうちょっと折り紙癖の伏線を張ってほしかったんだけど、まあ元々バグみたいなお兄ちゃんなので、どんな正体だろうと「まあこいつならさもありなん」と納得できるのは救いかなと。暇だから折っただけとかいうのは無しですよ?