しがない感想置き場

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仮面ライダージオウ 第36話 補足的駄文

 

 北島祐子がどうしてアナザーキバだったのかについてのグダグダメモ

 

もう殆ど見ていない番組なので今更こんなことを書くのもどうかと思うのですが、

ジオウにおけるアナザーライダーは、オリジナルのライダーが陥っていたかもしれない破滅の道に堕ちてしまった人達=それ故にライダーではなく怪人として存在する

っていうことをやりたかったのかと超絶今更になって思うところです。

 

例えば今回のキバ編でいうと、原典の「仮面ライダーキバ」が、親から隔絶されて剥き身のまま社会に投げ出されてしまった少年が、現実逃避→社会と接触→嫌なこと→現実逃避→立ち直るといったことを繰り返す中で、自身のルーツや縁に纏わる苦悩や励みを受けて、自分から居場所を求めて動き出すようになっていくヒーローの話であるのに対し、アナザーキバ/北島祐子はその逆を行っているわけです。

祐子は、親から「大雨の日に生まれた」なんて言われてそれを気にしてる辺り、よく思われていなかった節が見受けられ、そこに幼馴染の「自分の嘘を本気で信じる人間」という人物評が加わると、自分に自信を持てない空疎で孤独な存在が、現実から自分を守る為の逃避として、嘘をつき続けるしかなかったという背景が読み取れます。

幼馴染との関係についても、幼馴染の方は友達として接していたのを、彼に好意を抱いていた祐子が、その事実を基に彼に愛されているという都合の良い嘘で、フられる不安をごまかしていたというのが実態でしょう。

そして、彼に恋人がいるのを知るやいなや、彼女を奪えば幼馴染の気持ちが自分に向くと思い込もうとしたのか、凶行に走ってしまうわけですが、ここで重要なのは、祐子は恋人を愛するという幼馴染の気持ちを、嘘でごまかそうとはしなかったという点です。
裏切られた傷を嘘で癒すことをしなかったということは、彼女は現実逃避をしつつも、幼馴染の本心それ自体は直視するしかなかったということであり、それは彼女の逃避が現実に追いつかれ、破綻したことを意味します。
その後、犯罪者として有罪を受けた祐子は、自分の非を認めきれず、自分を追い込み、守れなかった者たち、そして尚も自分に振り向かない幼馴染に復讐すべく、アナザーキバの力を奮うという構造となります。
ソウゴの回想でも不遜そのもののような振る舞いを見せる祐子(セーラさん)でしたが、以上の経験がきっかけで、守られる必要のない、他者をひれ伏させる力を志向し、またその行動目的を復讐ではなく「法を正して冤罪に泣く人を救う」という大義名分にすりかえることで、起点となった己の恥部ともいえる経験から目を逸らすというのも合点がいくところです。
一方で、ギンガに適わないと見るやその存在をたことにする始末で、根本的な弱さは変わっていないのですが、心に降り続ける大雨から身を守る為に、今度こそ強さを手にして、歯向かってきたものを始末するという有様なのですが(ギンガが純粋な力の象徴なら、その力に挑み切れなかった祐子は弱さの象徴としても映る)、結局その野望は志半ばで消え、最後は自分が見下してきた相手に復讐として命を奪われる因果応報で命を散らしてしまいました。

エラく長くなりましたが、上記を踏まえるとアナザーキバは最後まで現実から逃げ続けた紅渡/仮面ライダーキバとして映り、親の言葉や姿を通じて立ち直ることも出来ずに狂ってしまった紅渡ともいえるでしょう。

ヒーローと怪人は本質的には同質の存在というのは、初代からある仮面ライダーの構造なのですが、今回のキバ編でようやくジオウのやりたかったことがわかったというのは、良いことなのか、悪いことなのか

 

 

※どーでもいいのですが、祐子に面会しに来た幼馴染については、遠方に引っ込む程怖がりつつもなんだかんだで祐子が心配だったとか、勇気があるとかいうよりも、キ印故に放置しておくだけじゃ安心できず、新しい恋人の為にも何かしなきゃと思って面会に行くだけ行った感が強いよなあと思う所。