しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

「シン・仮面ライダー」を観た

「シン・仮面ライダー」を観ました。

態々平山亨さんの息子さんが「ネガキャンやめてけれ」とお願いしていたり、何かと酷評が目立つ作品だったので、「どんなヒドイ物を見せられるんだろう」と内心びくびくしながら鑑賞したものですが、観終わってみると「そんなに悪い映画じゃないんじゃないんじゃないの?」と、それなりに肯定的に受け止めることが出来ました。少なくとも、いつも観ているニチアサ作品群のような、あからさまな描写の穴や矛盾といったものは見受けられなかったですし、ライダーの見た目なんかも、鑑賞前は旧1号ライダーに余計なものを追加したゴテついたデザインに拒否感があったものの、実際の映像ではカメラワーク等を駆使して、オリジナルの旧1号が持つ格好良さだけを抜き出そうと言う工夫が感じられて好印象でした。序盤の血まみれグチャボコアクションも楽しかったし。

 

一方、この作品を「好きだ」とか「観て良かった」と思えるほどの満足感を覚えることが出来たかと言うとそういう訳ではなく、どちらかというと「退屈だった」という印象の方が勝ってしまいました。仮面ライダーだからどうこうという話ではなく、一本の作品として「こういう描き方は気に入らない」という感じですかね。

 

なのでここからは、話や人物描写の粗というよりも、こういう描き方が嫌いだったというのをなるべく頑張って言語化したもの(というのもあって、凄く読みにくい)になるので、「お前の好みなんかどーでもいい」って方は速やかにご退出ください。ネタバレも含んでますし…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんというか、「人間を描く」っていうよりも、「僕の考えた登場人物紹介」って感じだなあと思いました。

人物の人となりを理解させる最低限の情報は提示しているし、それらを繋ぎ合わせると彼らのスタンスや作品全体のテーマ性等が分かるような作りにはなっているとは思うのですが、そういう「これが言いたいこれが描きたい」という作家の「念」の部分が先行している感じで、物語や人物を魅惑的に表現して楽しませようと言う工夫の部分が、自分と合わなかったというか。

シン・ゴジラ」は個々の人物のバックボーンやトラウマといったものには過度に踏み込まず、ゴジラというおっかなすぎる大怪獣の凄味、そしてそんなスゴイ怪獣相手に非力ながらもそれ故に優しい人間ならではの強さで挑む人々の意地という、至ってシンプルな対比構造が怪獣ものの作劇として巧くはまり、それ故に童心に帰って「ゴジラでけえ!」「熱線ゲロうつくしー!」「がったんごっとん電車の爆弾だどー」なんてキャッキャしながら楽しめたのですが、しかるに本作は、トラウマを抱えた登場人物の苦悩や葛藤と人間同士の信頼関係の構築云々といったややこしい要素を持ち込んでみたものだから、頭を空っぽにして楽しむには、処理しないといけない情報が多すぎて、じゃあそれをどうやって盛り上げの要素に使うかってところでズレたかなあという感じです。

 

例えば本郷猛は、いきなりショッカーの追っ手から逃亡する場面から始まり、その後いきなり緑川博士という恩師とその娘が出てきて、ああでもないこうでもないと話し合い、途中に怪人が乱入してドンパチみたいな導入から描かれるのですが、本郷がどんな人間なのかも分からない状態で、いきなり「改造されました」だの「怖い」だの「プラーナがああだこうだ」だの言われても、私としては「は?」としか返しようがなかったです。その後で戦うことを受け入れたりヒロインとの死別に涙したり父親が殉職したりだの色々描かれるのですが、その一つ一つの情報の出し方がキャラクターに感情移入させるために順を追って提示していったというよりは、思いついた順にとりあえず放り込んでみた、或いは展開の都合に合わせてという印象を抱いてしまいました。

原典の特撮版や「THE・FIRST」なんかは、まず最初に本郷猛のひととなりや能力を描いた上で誘拐・改造に発展しその後で手に入れた力に愕然とするという流れになっていましたが、物事が起きる前後を描くことで、それに付随する心の変遷に寄り添うことが出来た訳です。一方で「シン」の方は、改造後の本郷がいきなり登場し、元々抱えてきた彼の苦悩も見えないまま、力を手にしてしまった彼の恐れや戸惑いを一方的に見せつけられるだけになってしまい、置いてけぼりの状態でした。

人を守る為に覚悟を決め、蝙蝠オーグと戦う場面も、この時点で父親が殉職した過去についての詳細がハッキリしない上に、葛藤を乗り越えるに至る過程のドラマが薄いようにも思えたのも淡泊な印象を抱かせる所で、ルリ子との絆もショッカーと一緒に戦う導師以上の印象も無いので、その死別に涙する彼の心情にも寄り添えきれなければ、今の彼の人となりを形成したであろう父親の殉職についても、そういった重要展開の後に挟まれるという形になってしまった為、肝心な所で本郷の気持ちに寄り添い、彼に対する愛着を抱けず冷めた感情を抱えたまま画面を見送ってしまったというのが正直なところです。

 

不条理によって父親を失い、己の中にも矛盾した心を自覚し葛藤しながら、それでも前に進む為に自分であろうとし続け、そういった矛盾塗れの己を信じる為の行動が、他者を信じようにも信じ切れないルリ子に変化を与え、不条理により心を閉ざしてしまった彼女の兄の所業を止める役目を担うことが出来たという筋道は通っているとは思いますし、彼を現実引き戻すための「仮面を割る」という作戦に「外界との壁を取り払う」という意味付けが出来たのも良かったとは思うのですが、そういうこれがしたいあれがしたいという所で確かに成立はしているものの、その描き方が説明的で、私としてはドラマを楽しんでいるというよりも、おおまかなあらすじを断片的に聞かされているような感じになってしまい、情報を整理するだけで精一杯でした。ルリ子の遺言ビデオのシーンとか、やたら長ったらしいのも相まって一人で観ようものなら、感動ではなく、欠伸を堪えきれずに涙を流していたことでしょう。

 

本作、テーマ性は結構好きな部類に入るものですし、力が制御できなくて子供の手を潰しそうになった特撮版の本郷猛の「自分で自分を巧く制御できない」という超絶有名な改造人間としての苦しみと疎外感満載の場面を、「自分と他者の心が分からない恐怖」という等身大の人間が持つ葛藤として捉えなおし、他人を信じる前に己をに対する恐怖を乗り越えることで、自分らしい自分として堂々と他者とも握手を交わすことができるのではという事で、庵野さんなりに「仮面ライダー」が持っていた薄暗さに対する回答を提示出来たのかなと思いつつ、それをもう少しドラマとして魅せて欲しかったなというのが大まかな感想です。

 

後は追加でちょくちょく書いておきます。

 

基本好き嫌い云々ではあるけど、やっぱり一文字隼人はちょっと描写が足りてなかったような気もするんだよな。

孤独を愛する男に仲間が出来るっていうのは良いと思うけど、彼の過去や内面の描写に乏しいので、台詞回しの軽妙さ以外は印象が薄いというか。多幸による不幸の上書きっていうのも、一文字が抱える苦悩が不明瞭なのもあって、洗脳解除後の落涙も再起も今一つピント来なかった。

 

ショッカーに関しても小難しい説明こそあったけど、残虐さ凶悪さというものは伝わらなかったなあ。人間をウイルスの実験に使ったりと酷いことはしているのは確かだけど、どういう経緯かも分からないのでなんとも薄味で、そんな曖昧模糊とした組織を潰そうと態々投入されて死んでいった自衛隊員が色んな意味で浮かばれないというか。「クウガ」みたいに露骨に怪人の残虐性と被害者の苦痛をクローズアップさせる作りも場合によってはあざとく感じられるけど、少なくともあっちはその犠牲で仮面ライダーと警官達の戦いに重みが出た訳だし。

 

蜂オーグとルリ子の関係は説明台詞で完結してるせいで、ルリ子をいたぶりたい蜂オーグが馬鹿みたいに変態という印象しか抱けなかったよなあ。そんな変態の死で泣かれても、正直困っちゃうと言うか。