しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

水星の魔女を観た⑩

第15話を観た。

 

過去最高に笑わせて頂きました。

これまでのどの回よりも深刻で陰惨な内容だった筈なのに、これまでの描写の積み重ねがどのシーンも捧腹絶倒もんのギャグシーンに変えてしまうという恐ろしさ。悲劇と喜劇は紙一重とはよく言ったものですね。こういうことではないんだろうけど。

 

肉親を殺めてしまった御曹司の苦悩と、肉親との死と隣り合わせの状況下で必死に生きる紛争地帯の人々の葛藤との交錯劇という、学生たちのレズごっこと会社ごっこキチガイごっこばかりの今作の中では良い意味で異彩を放っていたことは確かですが、登場人物の苦しみの原因の殆どが、登場人物のクルパーでんぱ受信ムーブに起因するものばかりだったので、作中人物が苦悩とやりきれなさを台詞として吐き出すたびに、シュールな雰囲気が漂ってしまうという異常事態にしてやられてしまいました。

「睡魔」とか言ってごめん。凄く刺激的だったよ!(白目)

 

地球側のテロリストに捕まってトイレに監禁されるグエル君。父親を殺めたショックから立ち直れず飯も喉を通らない(兵隊のおじさんが無理矢理通したけど)状態だったのは、絵的には悲惨の一言でしたが、そもそもこんなことになったのも、彼の親父が自分の立場もロクに弁えずMSに乗り込んで単騎で特攻をかますというおバカムーブを展開したからであり、実家の会社が傾いたのだって、結局はグエルパパの無謀極まりない行動が順当に作用したからとしか言いようがなく、見てるこっちはバカバカしさで脳がちぎれそうになります。

グエル君も元をたどれば、スレッタ・マーキュリーとかいう一応生き物らしい何かを助ける為にMSに乗って父親と撃ち合う羽目になった訳で、じゃあ何故コイツを助けようと思ったのかというと、シナリオの都合で突然スレッタに惚れる恋愛脳に目覚めさせられたからであり、結局は親子そろって話の都合で頭がイカれた結果すれ違いバトルをさせられたという身も蓋も無い事情の上ででっち上げられているだけなんだよなあ。

父親を失った女の子に我が身を重ね、重傷を負った彼女を救うべく走りながら、「俺は何がしたいんだ?」と自問自答する姿も、生き方を見つめて彷徨う若人の焦りと困惑というよりも、アホみたいな展開の為に魔改造されたキャラクターの後始末に苦慮しながら筆を進めるシナリオ担当の、シリーズ構成と監督への憤りの言葉としか聞こえませんでした。そういえば全然書いてないね大河内さん。

 

シナリオ担当さんにはちょっと同情しつつ、会社の倒産の話を聞いて、消沈から一転し「家族の事なんだ教えてくれ。」と兵隊さんに縋る姿は、もうちょっとクッションが必要だった気がします。「家族を殺めた罪悪感」に打ちひしがれていた男が、家族との繋がりを求めることを是とするまでには、もうちょい間が必要だったと思うのですが。

死にかけた女の子をMSに乗せて急上昇させて死なせてしまうのも、「そりゃ死ぬだろ」としか思えなかったです。シートベルトもつけずパイロットスーツも着ず傷だらけで横たわってる訳で。もうちょっと方法無かったんすかね。

 

最終的には「父さんとの繋がりを失いたくない」と、グエルの今後についてなんらかの指針が出来たようですが、グエルと父親の関係は、後継者と後継者を育て時に操る人という図式しかなく、内面まで踏み込んだ交流については描写が薄かったと思います。

Zガンダム」のカミーユみたいに父親の人となりに対して嫌悪感を抱くわけでもなく、「ダグラム」のクリンみたいに単なる権力者としてではなく、ただ一人の父親として彼を慕い、それ故に自分と正邪の考えを異することにショックを受けるというすれ違いの積み重ねも無いので、父と子のドラマ自体が殆ど成立していません。髪を下ろしたグエルが無茶苦茶イケメンだったのは認めますが。

 

ソフィの同僚のテロリストがニカを殴るシーンも噴飯ものでした。「ソフィが死んだのはお前のせいだ」と激昂していましたが、全然違うと思います。ソフィが何故かスレッタに興味を持って、何故かスレッタの決闘の提案を受け入れて彼女の圧殺を同僚に止めさせ、スレッタが乗ったエアリアルと交戦中に何故かエアリアルの中のエリクトを求めて死んだだけです。ソフィの死についてはこれっぽっちもニカは悪くないです。ソフィが意味もなくバカだっただけです。

そんな電波オンナですが、一応地球の子供達にとって彼女は「ヒーロー」だったようです。地球の民度って終わってますね。そりゃチュチュみたいな暴力女も出てくる訳だわ。

彼女の死後に何かしら掘り下げるのかと思いきや、やってることは電波女をひたすら擁護しマンセーするだけの常軌を逸した場面の連打だけで、前回抱いていたソフィに対するキチガイとしてのイメージが、より強烈なものとしてこびりついてしまいました。

 

そもそも、今回初めてまともに地球の惨状が描かれた訳ですが、それでもその描写というのがテロリスト同行する非戦闘員位のもので、一般の地球の人達の生活水準として見て良いのかすら分かりません。

上で挙げた「ダグラム」のデロイア人みたいに、統治する地球側にゲリラの情報を密告した報奨金が無いと生活すらままならない民間人や、働けども豊かにならないロッキーの家族の窮乏っぷりや、クリンを助けた少女の地球に対する反発の意思等を描く様に、現地に暮らす「普通の」人々の生活、或いはテロリストならキャナリーのお兄さんみたいに、民間人から自ら志願して母国の為に戦う様を見せて、「普通の人達が兵士として挑む様」を描いて説得力を出すなどして、初めて格差だのなんだのの話が物語の上に浮上してくるものだと思うんですけどね。

確かに「ダグラム」のような1年半近い尺で話を進めることが出来た作品と、2クールものの本作を比較するのは酷ではありますが、序盤の尺の何割かをそういう描写に充てられれば少しは印象も違ったのではないでしょうか。突然出てきたモブの兵士や子供が死んだり泣いたりするだけでは、「地球人カワイソス」とはならんと思います。

 

今回も「戦争シェアリング」なる専門用語から始まり、小難しい経済用語や何やらでそれっぽい会話をするシャディクの場面が挟まれましたが、物語として政治経済を生き生きと扱うというよりも、とりあえず用語だけ出しておけば貫禄が出るだろうレベルの発想で用いているようにしか感じられません。

 

今回までの流れで、これまでの学園ものとしてのストーリーに「何の意味があったのか」不可解極まりない印象を抱いてしまいましたが、少女漫画っぽくしたい、百合がやりたい、硬派な政治ドラマもやりたい、ロボットも出さなきゃと、あれもこれも手を出してしっちゃかめっちゃかになっている上に、シリーズ構成のビックリ箱作風が更なる追い打ちをかけ、事態の収拾がつかなくなっているなと改めて思いました。カオスすぎるよホントに。