登場人物皆バ〇。IQ2万の天才中学生とやらに全部任せた方が良いんでない?
相変わらず王様達の考えが甘いと思うんだよなあ。ギラ独占の目的がキングオージャーの操縦権確保にあるなら、敵との交戦でキングオージャーを降臨させた場合、ラクレスにバレる可能性大ってことだよね。決闘裁判で負けた容疑者を匿ってその力を利用するとか、外交問題待ったなしでしょ。2秒で思いついて1秒で却下する愚案を嬉々として採用しているとしか思えん。
そもそも第6話の段階でシステム故障だかなんだかでラクレス以外の面々がシュゴッドを呼べず、ギラもキングオージャーを召喚出来なかったという経緯があって、その原因も特に明言されていない筈だよなあ。ラクレスは、ギラの生死に関係なく、他の国を従えたい訳で、今後も彼一人でキングオージャーやシュゴッドの力を独占する可能性が大いにある訳でしょ。前回の毒液云々もそうだったけど、なんでこんなに楽観的なんだろう。
そもそも遵法キャラのリタとして、決闘裁判の生き残りを死者として扱うというのはアリなのか?勝った相手の権利や要求はガン無視状態だと思うんだけど。巨大な力は中立国のゴッカンこそ管理すべきと言ってはいたけど、その中立国の審判が片方(ギラ)に肩入れしまくってるというのが今の現状なんじゃないかと。
表面上では仲間面をし、腹の底では舌を出し合う場面もあったけど、今の彼らを見ているとバカしあいではなく、バカの競い合いにしか見えん。一番頭の悪い奴が一番強いんだ!
「わざと(急所を)外してくれたのかも」と、自分からラクレスの手加減を疑うギラ。こいつは一体何考えているんだ?ついさっきまで殺意向けまくりヘイトぶつけまくりでボロカスに言っていた相手だぞ?普通は他の人間がラクレスの甘さを仄めかし、ギラが必死で否定するという流れになると思うんだけど、ギラの場合は意図的に「ラクレス許そうかな(チラチラ)」みたいな余地を作ってる感じで実にバヤイ。
デスナラクとカグラギが戦っているのを傍から見ているだけで全く加勢しない所もなあ。黒子の「5王国にバグナラクが攻めてきている」という情報を受けてシュゴッダムに現れた敵を倒そうと思ったのだろうけど、それなら従者に連れられてンコソパやトウフを訪れている暇なんて無い訳だし。ラクレス批判が相変わらずブーメランになってます。自称悪役じゃなくて、マジモンの悪役かもしれんね。
「忠誠と依存は紙一重!」とか言って、シオカラとセバスチャンにダメ出しするのもイミフ。お前ンコソパの民度マンセーしてたやん。イシャバーナの王の我侭を最終的に認めてたやん。ンコソパ民の掌ドリルっぷりも、ヒメノ様様スタイルも、あの場で即否定されるべきだったものなのに、今になって指摘し出すの遅くないか?
それに今回に関しては、セバスチャンも「自分達の協力のおかげでヒメノは皆を守れる」みたいなことを態々説明していた訳で、ギラの言う「助け助けられる関係」と同じだと思うんだが。ホントに大丈夫かコイツ。
「孤高と傲慢は表裏一体だ!」もおまいうブーメランの乱打過ぎてズタズタっす。「邪悪の王」を自称して憎まれ役になったり、子供達の言うことを聞かずに飛び出した挙句、留守中に彼らを人質に取られる体たらくを見せつけた君が言うのかと。今回も一人でキングオージャーを呼んで一人でバッタを仲間にして一人で敵を倒した訳で、孤高と傲慢を現在進行形で体現しているギラ君の御高説に頭の回路がヒューズ寸前。順調に永夢・或人コースを突き進んでますねえ。
子供からの助けで今がある的な発言だって、子供達のいう事をギラがまともに聞かない上に、そもそも彼らが役立たずすぎるから今の現状に陥っている訳だから何言うてんねんレベルの主張なんだよな。現状話にロクに関わってもいないし。
各国の従者と王様の関係性も良く分からないし、しょーもないコント紛いの場面で尺埋めしただけって感じだなあ。
イシャバーナの王様も従者も馬鹿なのか。敵が攻めてきたなら猶更ギラを受け入れろよ。何がしたいのかマジで分からん。
ラクレス派のふとっちょさんは毎回ラクレスマンセーの場面で顔出しして率先してマンセー活動にいそしんでいるけど、特定の人間の工作活動にしか見えないので、ラクレスの支持が国民レベルで上がっているかどうかも分からないんだよな。
「ドンブラザーズ」の販促も大概いい加減だったけど、「キングオージャー」のも瞬きしたらすぐに消える程度の出番とやっすいキャラ付けで演出するもんだから、「欲しい!」という気持ちが沸きあがらないんだよなあ。バッタがサソリとチュッチュしたがってるなんて情報、要ります?伏線ありました?
1年前のこの時期は「ドンブラ」の展開に目が離せず、あれこれ情報を追いかけていたものだけど、今作に至ってはそういう情熱何て欠片も湧いてこないんだよな。「ドンブラ」は9話の段階で登場人物の矜持や能力やコンプレックス、各人物同士の対比や共通項が掘り下げられて見応えがあったのに、こっちはその辺りの描写が薄くて、だから劇中で仄めかされる謎やら敵の正体についての関心も全然沸き起こってこない。
フィクションにおける謎や引きなんて、所詮は絵空事でしかない訳だから、それに如何に興味を持ってもらうかは、出てくるキャラクターの人となりや織りなすドラマによって作品の世界観が如何に立体的に演出されるかという一点にかかっている訳で、そこには明確な指針と計算がなんだかんだで必要になってくるんだよな。作家がそれを意識しないで書けるか、そうじゃないかの違いはあるにせよ。
極端な話、そこさえ設計出来ていれば謎の解明や引きの顛末がしょぼくなっても、土台となっている登場人物に致命的な影響さえ与えない限りなあなあにして流せちゃうわけなんだよな。「ドンブラ」の種明かしはチープそのものだったし、正直期待を裏切られたという後味の悪さは確かにあったけど、それでも作品を嫌いになるということは無かったのは訳で。
ヒーローものとしてはダメダメ、キャラクターもドラマもスカスカ、メカニックやモンスターのビジュアルもダサダサと来て何を期待して観たら良いのか本当に分からん。とりあえずギラが何処までおかしくなるかに焦点を当てて見ていけば良いのかな。過去の大森作品の主人公らしさを順当に獲得しているようですし、刺激的と言う意味では虚無よりはマシかもわからんしね。