しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

王様戦隊キングオージャー 第36話

「ワンピース」観ようかと思ったけど、ずっと前からTVer視聴勢だった。

今週のあたおかハイライト

ヤンマ「自国がめちゃくちゃだけどお見合いします。」

ギラ「自国が壊れているのに見合いに参加するヤンマより、自国を取り戻してお見合いを始めるヒメノの方が許せません。」

執事(過去)「イケメン有罪なので自傷します。尚メイク担当は終始真顔でした。」

ダグデド「王様戦隊同士の交流なんてこの先いくらでも生じ得るので、暗殺の為に見合いを開く必要なんて欠片も無いことは黙っておきます。勿論、王様憎しの気持ちを煽らなくても、国民には王様討伐令が既に下っているので何もかも無意味な気がすることも言いません。」

カメジム「ヒメノに毒を浴びせたけでトドメは刺していません。執事とメイドは放置しています。」

サナギム「ヒメノが閉じ込められている地下牢をぶっ壊しました。」

メイド「人間だけどサナギムを倒せます。」

 

とりあえず、ヤンマの描き方糞下手だよね。

Pと作家さんとの対談を読むに、「僕にもドンブラザーズの作風は再現できる」みたいなノリで書いているのかもしれないけど、全然だめです。話にならない。

前回、目の前の友人を見捨てられないヤンマの「我」の部分が、国王としての「使命」を凌駕し、それ自体が人間らしさとしてギラからフォローされるという描写がありましたが、そこからまたヤンマの「我」の部分をダラダラ書いていく、ケジメがつけられない作劇がドヘタ過ぎる。しかも、「ヒメノへの恋慕」なんて死に設定まで持ち出して。

「ドンブラ」も、ヒーローが持つ人間の弱さや葛藤を前面に描いた作品だったけど、別にそれ自体は必ずしも素晴らしい物として肯定されてきた訳ではなく、むしろおぞましい物、情けない物として演出された訳で、一方で、我欲に囚われつつも戦うべき時は戦うという逞しさも描いてきたからこそ、醜い部分もかっこいい部分も併せて人間でありヒーローであるという魅せ方が成立していたんだよな。本作の場合、ヤンマの「我」の部分だけ描くだけで、課題や責任に対する取り組みというのはまるで描かれない。本編外では国の復興に向けて動いているのかもしれないけど、前回あれだけ「我侭」を見せたのに、未だ我侭なヤンマを描かないと気が済まないというその神経が理解できない。

 

結局、ヒーロー/王らしいヤンマも、一個人としてのヤンマも、その両方がダラダラと癒着した状態でだらしなく描かれているから、中途半端にしか映らないんだよね。

 

後、毎回同じような敵とだけ戦うってのもイケてないよね。ドンブラの場合、毎回ちゃんと違った殴られ役を登場させ、それも歴代戦隊を模した怪人というある意味反則級のモチーフを使ったことで、視聴者に「次はどの戦隊の怪人がでるんだろう」「あの戦隊はどんな感じかな」「あのキャラが怪人になるなら・・」という風に、関心を集めてきた訳で、それが戦隊の戦いに華を添える要因にもなっていたと思うんだけど、キングオージャーはここ最近特に、幹部級の怪人と戦って取り逃がしを繰り返すので、ヒーローがとりあえず戦いを経て前進した感じがしないんだよね。で、今回もロボが出ない訳だ。ドンブラはクリスマス商戦前まではほぼ毎回出してましたよ?

上の対談でPが「ドンブラザーズは戦隊のルールをことごとく破った」とか言ってたけど、この戦隊は「ドンブラザーズですら破らなかったルールを平気で破っている」だけなんだよね。あーあ。