しがない感想置き場

特撮番組とかアニメなどの感想を投稿します。

仮面ライダーギーツ 第12話

人間を描いたら途端に歪になる我らが「ギーツ」。

なるほど、ライダーは「ゲームマスターの駒」では無いのだろうが、「ライターの駒」ではあるってことだな。寒いぜ!

 

(姉を庇う小学生を見て)やめ就「君のおかげで大事なことに気づけたよ」

お爺ちゃんは!?老体に鞭打って傷だらけになって皆を護ったのに、彼の献身には心を動かされず、子供の努力には心が動いたってどういう訳?!ライダーに変身しているか否かって、そんなに重要なの?!

てかなあ、グランプリの仕様でやる気()が無くなったやめ就がやる気を取り戻す過程を描いても、大して面白くならんのだよなあ。やめ就のやる気が無くなった根幹の所が分からないので、何に心を動かされたのかちいとも伝わらない。仮に生身のまま怪人の前に立ちはだかる子供を見て「まともな戦力が無くても自分の力で戦わなきゃ意味がない」って思ったとしても、ライダーに変身したおじいちゃんがボロボロになっている以上、そんな発想に至れるとも思えないんだよな。こういう展開にしておけば盛り上がるじゃろうみたいな感覚というか、こういうそれっぽい展開をやる位なら、ずっと料理対決してる方がマシだと思うんだよな。(隙ドン語)

で、お爺ちゃんと入れ替わりに参加となった訳だが、やめ就の気持ちを変えたのは子供の働きなので、あまりきれいな絵になっていないんだよな。それっぽい会話は交えてるけど、実際何にも交わっていないよねって。

 

「退場した人を蘇らせる」って願いも今更過ぎるよな。願いの書き換えが許されなかったんだろうけど、2話ラストで持ち出して以降全く話題に出なかったからな。世界平和の願いは本命じゃ無かったです。今までは第二希望位の願いの為にそれっぽいことを言って頑張ってましたみたいな感じだよな。

なんか、設定上はそうだから矛盾してないと言われたら受け入れるしかないんだろうけど、やめ就の前で死んでいった面接官や怪人の犠牲者に対する想いというものに、ロクに焦点が当たっていなかったと明言されているような気分になってくるというか。高橋脚本って、ノートに書いた設定披露大会を物語の体を借りてやってる印象なんですが、本作も「設定が壊れてなければ良い」みたいなマインドで取り組んでいる感じで、こっちが観たいものとやっぱり食い違いがあるというか。

 

えーすも、記憶を取り戻す取り戻さないより前に、戦いたい言うなら簡単にデザグラのルールだけ説明してあげればよかったんじゃねえかなあ。家族が怪物に殺されていた事実なんか思い出させたりとかしちゃうわけだしなあ。やめ就程じゃないけど、なんかデリカシーに欠けるんだよなあ。

 

やめ就復帰後もダラダラ戦闘やってダラダラ変な解読ゲームをやってと、販促の為というのもあるんでしょうが、なるべくツッコミどころを減らすために波風立たないシーンで嵩増ししてる感じなんだよな。